則天文字
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則天文字(そくてんもじ)とは中国武周朝を創始した女帝武則天が制定した漢字。則天新字、武后新字とも言われる。六書の文字分類では象形文字あるいは会意文字である。

武則天が権力を誇示するため、あるいは個人的な好みや考えのため制定されたとされる。武則天が失脚するとほどなく忘れ去られた。日本で最も有名なのは「圀」の字で、徳川光圀の名前に使用されている。この字は「國」の「或」の部分が「惑」に通じるので不吉だと理由で「八方」という字が入れられた。

また、『「地」は「土」の上に「山水」がある』という理由から、代わりに「土」の上に「山水」を乗せる字「?」が考案、使用された。

「臣」は「忠」を第一にせねばならないという考えから「忠」の上に「一」を乗せた字「」が「臣」の代わりに使用させられた。

武則天自身の名前「照」は「?」となった。「空」の上に「日」「月」であり、この字は武則天のためだけの文字である。
目次

1 概要

2 則天文字の歴史

2.1 文字の創作と施行初期

2.2 文字の伝播と新たな文字の制定

2.3 使用の廃止


3 解説

4 則天文字が使われた例

5 中国国外への影響

6 参考資料、注釈

6.1 その他参考文献


7 外部リンク

8 関連項目

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概要

武則天は中国史上ただ一人の女帝であり、今までの慣わしを何でも改めるのが好きな人物であった。彼女が変更しなかったのは服装ぐらいのもので、まず国号からに変えた。改元は頻繁であり、官職名も変えた。中でも有名なのは、新たに字を作ったことである。彼女は自らの思想と政治力によって、あたかも服を着替えるかのように簡単に文字を変更した。この文字は後世「則天文字」と呼ばれるようになった。

例えば「天」の文字はに改められた。これは「天」の字の篆書体である。もっとも、このように形を変えただけの文字は例外であり、ほとんどの文字は新たに作られたものである。

則天文字が何文字あるかはよく分かっておらず、12、16、17、18、19、21個の各説があり、すべての説の文字をあわせると30字前後になる。もっとも、印刷や手書きの都合で異体字となっているものもあり、現在のところは17個説が有力である。

則天文字が使われたのはわずか15年間であったが、従来の文字にも影響を与えた。文化財などに書かれた文字を見ていくと、武則天の前後の影響がよくわかる[1]。武則天が退位した705年3月3日[2]、復位した中宗は国号を唐に戻した。則天文字は公式には廃止され、私文書においてもだんだんと廃れていった。現在中国では全く使われていない。もっとも当時の武則天の威光は絶大だったようで、中国国外にまで伝わっている。また、昔からよく文字研究の対象になっている。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki