分子論
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出典検索?: "アボガドロの法則" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年10月)


ゲイ=リュサック ジョン・ドルトン
アメデオ・アヴォガドロアンドレ=マリ・アンペール

アボガドロの法則(アボガドロのほうそく、英語:Avogadro's law)とは、同一圧力、同一温度、同一体積のすべての種類の気体には同じ数の分子が含まれるという法則である。1811年アメデオ・アヴォガドロゲイ=リュサック気体反応の法則ジョン・ドルトン原子説の矛盾を説明するために仮説として提案した[1]。少し遅れて1813年アンドレ=マリ・アンペールも独立に同様の仮説を提案したことから、アボガドロ-アンペールの法則ともいう。また特に分子という概念を提案した点に着目して分子説(ぶんしせつ)とも呼ぶ。元素原子分子の3つの概念を区別し、またそれらに対応する化学当量原子量分子量の違いを区別する上で鍵となる仮説である。

アボガドロの仮説は提案後半世紀近くの間、一部の化学者以外にはほとんど忘れ去られていた。そのため、化学当量と原子量、分子量の区別があいまいになり、化学者によって用いる原子量の値が異なるという事態に陥っていた。1860年のカールスルーエ国際会議(英語版)においてスタニズラオ・カニッツァーロによりアボガドロの仮説についての解説が行なわれ、これを聞いた多くの化学者が仮説を受け入れ原子量についての混乱は徐々に解消されていった。

その後、問題になったのはアボガドロの提案した分子という存在が実在するかどうかであった。分子の実在を主張する側からは気体分子運動論が提案され、気体の状態方程式などが説明されるに至った。しかし一方で実証主義の立場から未だ観測できていない分子はあくまで理論の説明に都合の良い仮説と主張する物理学者化学者も多かった。この問題は最終的には1905年アルベルト・アインシュタインによるブラウン運動の理論の提案とジャン・ペランによるその理論の実証により間接的に分子の実在が証明されることによって解決した。

現在では分子の実在が確認されたことから、アボガドロの仮説はアボガドロの法則と呼ばれており、分子量と同じグラム数の気体が含む分子の数を表す物理定数を彼の名を冠してアボガドロ定数と呼んでいる。
アボガドロの仮説

アボガドロの仮説が提案される原因となったのはゲイ=リュサック気体反応の法則であった。気体反応の法則があらゆる気体に成立するとすれば、同一圧力、同一温度、同一体積中の気体にはある定数の整数倍の粒子が含まれていることになる。例えば水素2リットルと酸素1リットルから水蒸気2リットルが生成し、炭素を酸素1リットルと燃焼させたときには一酸化炭素2リットルが生じる。

ジョン・ドルトンはこの実験事実自体を否定したが、アボガドロやイェンス・ベルセリウスはこの法則を認めた。アボガドロはこの実験事実を説明するために、同一圧力、同一温度、同一体積の『すべての』気体にはある定数の粒子が含まれているとし、この粒子をmolecule(分子)と呼んだ。アボガドロは化合により水ができるときには水素分子と酸素分子が2つに分割でき「半分子」になるとした。アボガドロはこの半分子が2個より多くの原子からなることも考慮していたが、それまでに知られている気体反応の法則の例からは2個の原子からなると考えれば充分であるとした。1814年にアンペールも同様の仮説を提唱した。

しかしその当時は、単一種の原子のみが結合して多原子分子を形成するという考えは受け入れがたかった(ギルバート・ルイス共有結合の概念を提唱したのが1916年、その正体が量子化学に基づきヴァルター・ハイトラーフリッツ・ロンドンにより初めて解明されたのは1927年である)。ドルトンは重い気体と軽い気体が完全に混合して分離しないのは、同じ種類の原子同士に熱素による斥力が働いているのが原因であると考えており、同種原子の結合を認めなかった。またベルセリウスは電気化学的二元論の考え方から同じ種類の原子には静電的な斥力が働くと考えていた。電気化学的二元論は1840年ごろまで、化学の支柱的な理論として信奉された。そのため、同種原子からなる分子の考え方が受け入れられるようになるのは、電気化学的二元論にほころびが生じてからのことであった。

一方で、ベルセリウスは気体反応の法則のつじつまを合わせるために、同一圧力、同一温度、同一体積のすべての『単体の』気体にはある定数の粒子が含まれていると限定して考えた。すなわち水蒸気や一酸化炭素は単体の気体の半分の粒子しか含んでいないと考えたのである。ベルセリウスはこの考え方を元に多くの原子量を決定していった。

しかしベルセリウスの考えもそれほど多くの化学者に広まらなかった。そのため、それぞれの化学者が自分の考えに基づいて原子量を決定し、それに基づいて分子式を決める状態が長く続くことになる。
アボガドロの仮説の検証

ほとんどの化学者には省みられなかったアボガドロの説ではあるが、少数の化学者がこれに興味をもち検証を行なおうとしていた。

ジャン・バティスト・アンドレ・デュマは常温で気体でない物質の蒸気密度を測定する方法を開発した。しかし、いくつかの物質では高温で解離反応が起こってしまい、アボガドロの仮説を否定するような結果も得られてしまった。この問題が解決されるのはずっと後の1865年アドルフ・ヴュルツにより気体の解離反応が発見されてからのことである。

有機化学の進展に伴い置換反応が発見され電気化学二元論が揺らぎ始めたころ、ジェラールは1839年にすべての物質が2つのが接合したものであるという残余の理論を提唱した。残余の理論を採用すると、ベルセリウスの原子量・分子量決定法に問題があることが分かった。ベルセリウスは金属 M の酸化物の組成式を MO と考えていたため、1価の金属の原子量がすべて真の値の2倍になっていた。そしてカルボン酸の分子量を銀塩の組成から決定していたため、カルボン酸の分子量も真の値の2倍になってしまっていた。ここでジェラールはカルボン酸の塩素置換反応に残余の理論を適用すると、塩化水素の分子量も従来の2倍になってしまうということに気づいた。ジェラールは金属 M の酸化物の組成式は M2O であるとすれば一貫性が得られ、またアボガドロの仮説が成立することを示した。しかし、ジェラールはこの分子量の改訂には消極的であり、むしろ一貫性を持てない分子量の概念を放棄したいと考えた。

この改訂の意義を積極的に主張したのはジェラールの友人オーギュスト・ローランであった。ローランは残余の理論からの帰結として水素や酸素、塩素などの単体がアボガドロの仮説どおり二原子分子であることを主張した。ジェラールやローランの主張はアレクサンダー・ウィリアムソンやウィリアム・オドリング(英語版)、アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマンらによって採用された。しかし、多くの化学者は未だに自分自身の独自の分子式を使い続けていた。

1858年スタニズラオ・カニッツァーロデュロン・プティの法則を利用して無機化合物の組成式が決定できることを示した。そしてアルカリ土類金属の酸化物の組成式がジェラールの提唱した M2O ではなく MO であることを示し、正しい原子量を提案した。またアボガドロの仮説に基づく分子量決定法も合わせて示した。そして、これらの方法を組み合わせることで、すべての元素の原子量を一つの値に決定できることを示したのである。


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