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処女懐胎(しょじょかいたい)、または処女受胎とは、文字通りには処女のまま(つまり男女の交わり無しに)子を宿す、という概念を指すが、一般には特に聖母マリアによるイエス・キリストの受胎というキリスト教における概念を指す。キリスト教において処女懐胎の意義はマリアが罪を犯さずイエスを身篭ったことになり、これによりマリアの無謬性が成り立つ。
他の神話内の事例にも用いられることもある。
目次
1 マリアの懐胎
2 他の神話における処女懐胎
3 注釈
4 関連項目
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マリアの処女懐胎が記述されているのは、新約聖書の福音書中では、マタイによる福音書とルカによる福音書である。どちらも聖霊により身ごもったことが記述されている(マタイ伝 1章20節、ルカ伝 1章35節)。処女懐胎の記事は、両福音書が参考にしたマルコ福音書、また、マルコかルカの福音書を知っていたかもしれないヨハネ福音書には、言及はない。
マタイ福音書では、天使のガブリエルの告げる言葉が、七十人訳聖書(ギリシア語訳の旧約聖書)のイザヤ書からそのまま引用されている。即ち、「見よ、乙女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ伝 1章23節、イザヤ書 7章14節)
[1]。
この処女懐胎の物語は、イエス・キリストがその誕生から神の子であったということを明示する意図を持っている。この点において、イエスは、その誕生時ではなく、洗礼者ヨハネによる洗礼時に神に選ばれたと考えるマルコ福音書(1章9-11節)とも、イエス・キリストの存在は万物の創造に先行すると考えるヨハネ福音書(1章1-2節)とも、そのキリスト論において異なっている。マタイ、ルカの福音書は処女降誕によってイエスを神聖視しながらも(ただし神とはみなしていない)、しかし、マリアに関しては全く神聖視していない。マリアを普通の女とみなすのは、マルコやヨハネも同じである。後に、キリスト教が他の地中海世界に広がるに際して、処女信仰や太母神信仰と複雑に絡み合い、特に西方教会において、マリアは聖母として信仰の対象となり、処女懐胎は最も重要な教理の一つにまでなった。(処女降誕参照)
西欧語では、処女を意味する語が、(大文字にすると)そのまま聖母マリアを指すことが多い。La Virgen(西)、la Vierge(仏)、the Virgin(英)等[2][3]。
他の神話における処女懐胎
旧約聖書には、高齢あるいは不妊の女が神の恩恵により子を宿す例がたびたび見られるが(創世記17:15,21:1-2,30:22-23,士師記13:2-5など)、処女懐胎の例は無い。また、『マタイによる福音書』に引用される『イザヤ書』(7:14)は処女懐胎ではない。
エジプト神話のホルスはオシリスとイシスの間の子であるが、女神イシスが処女で産んだとする神話もある。イシスがホルスに授乳する様子などが、聖母マリア信仰の元になったと推察する人もいる。
ギリシャ神話の神々は、しばしば夫婦間によらずに産まれている。
インド神話には、処女マイヤは夫で大工のスパスティカによらず、太陽神サビトリにより懐妊し、アグニ神を産んだ。下記の釈迦誕生譚に影響を与えたと見られる。
仏教の説話には摩耶夫人は六本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見て釈迦を懐妊した、とされる。また右脇から釈迦が生まれたとする話がある(これはクシャトリア身分女性の出産表現である[要出典]という)。
聖徳太子の母、間人皇女は救世観音が胎内に入り、皇子を身籠もったとの伝説がある。厩の前で出産したとのことで、キリスト教の影響を想像する人[要出典]もいる。が、釈迦の誕生譚からの影響が大きい[要出典]、とする人もいる。釈迦の場合も摩耶夫人が旅行途中の花園で出産。