写真週刊誌(しゃしんしゅうかんし)とは、雑誌のほぼ全ての記事を写真中心に構成するスタイルの週刊誌。
目次
1 概要
2 代表的な写真週刊誌
3 歴史
4 推移概要
4.1 発刊以前
4.2 登場初期
4.3 過渡期と競争の過熱
4.4 過当競争時代
4.5 ブーム終焉〜現在
5 その他の関連する現象
6 関連項目
7 参考
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1981年に新潮社から「FOCUS」が創刊されたのが第一号。写真を全面に押し出したスタイルが一般に受けて成功を収めた。「FOCUS」の成功を受けて1984年-1986年に大手出版社が次々と写真週刊誌に新規参入し、最盛時には5誌が発行されていた。
写真を中心に押し出した写真週刊誌のスタイルは、1980年代に於ける日本のフォトジャーナリズム、特にスポーツ新聞の紙面構成に大きな影響を与えた。激しいスクープ合戦は、時に脱法行為による撮影や、取材対象者のプライバシー侵害などの問題を引き起こし、非難の対象ともなったこともある。
従来の週刊誌にはない過激な記事の取り扱いから急速に発行部数を伸ばしたが、そのあざとい内容が1980年代末に前後して、急速に読者に飽きられるなど実売部数は低迷したことと、加えて発行する社内ライバルである既存の週刊誌側も同様の手法を取り入れたことから、ブームは一気に縮小し、新規参入の「TOUCH」、「Emma」や、第一号の「FOCUS」も休廃刊に追い込まれた。
2007年時点では、講談社の「FRIDAY」と光文社の「FLASH」の2誌のみが発行されている。
代表的な写真週刊誌
FRIDAY(講談社)
FLASH(光文社)
FOCUS(新潮社)
TOUCH(小学館、唯一のオールカラー)
Emma(文藝春秋、当初は週刊ではなく月2回刊)
スクランブルPHOTO(新英出版)
歴史
1981年 「FOCUS」創刊
1983年 「スクランブルPHOTO」創刊も間もなく廃刊
1984年 「FRIDAY」創刊(「FF」時代の幕開け)
1985年 「Emma」月2回刊で創刊(「FFE」時代に)
1986年 「Emma」週刊化、「TOUCH」「FLASH」創刊(「3FET」時代突入)。ビートたけしとたけし軍団「FRIDAY」編集部に殴りこみ(フライデー襲撃事件)
1987年 「Emma」廃刊
1989年 「TOUCH」廃刊(「3F」時代へ)
2001年 「FOCUS」休刊
写真週刊誌は、バブル景気とほぼ並走する形で時代を駆け抜けていったと述べても過言ではない。ブームを興して全盛期を迎え、ブームの衰退と共に姿を消し、あるいは細々と存続されている。
写真週刊誌が発達する以前の写真を主体として構成された雑誌としては、「アサヒグラフ」や「毎日グラフ」(いずれも休廃刊)などのような新聞社の編集する月刊誌が存在していた。内容は一般の新聞に準じて堅いもので、報道カメラマンの手による写真が主であり、これに新聞社の記者が手掛けた記事が付き、手軽に読めるものではなかった。
社会的な記事が多く、ベトナム戦争の頃には、現地で取材した、生々しい「戦争の悲劇」を伝えるような、極めて硬派な内容であった。主に新聞紙の限られた紙面では伝えきれない事柄を、特集する形で掘り下げて取り扱っていた。
芸能誌や娯楽誌を中心に発行している出版社が出し始めた発刊当初の写真週刊誌は、社会風俗や芸能関係を取り上げる芸能誌や娯楽誌の延長としての傾向があり、内容もやや砕けたもので、芸能専門の報道カメラマンが撮影しながら、特に記事が付かないような「芸能人の日常」や、報道方面では様々な事件・事故・出来事・社会現象の写真を掲載した。
休日の芸能人の素の姿や、本来なら表に出ないマスメディア作品制作の裏側といったものや、大きな社会問題として話題となった事件・事故の現場や、その発生当時の写真を取り上げる一方で、カルガモ騒動などのような動物関係の微笑ましい話題や、世相に絡む社会事象も取り上げるなど、幅広い内容を掲載していた。スター芸能人に対して大衆が抱く健全な興味の延長として、あるいは活字離れが進んだ若者世代にも判り易い内容の雑誌として受け入れられ、発行部数を急速に伸ばしていった。
特に、写真週刊誌の売り上げを飛躍的に伸ばした要因として1985年に起きた日本航空123便墜落事故が挙げられる。悲惨な事故現場の惨状を伝えるのに写真週刊誌は大きな役割を果した。一方で取材者が遺族の名を騙って遺体安置所に潜り込む事件が発生する[1]など、一連の報道は「報道の自由」や「悲惨な事故を繰り返さないために」という大義名分の下に、遺族や生存者の気持ちを踏みにじったものである、という批判も生み出すことになった。