内閣改造(ないかくかいぞう)とは、内閣総理大臣が、首班指名選挙直後の組閣を除く時期に国務大臣(閣僚)の相当数を一度に替えること。内閣改造によって成立した新内閣を改造内閣という。与党役員人事改造と連動して行われる。通常は国会閉会中に行う。
目次
1 概要
2 改造の手順
3 改造が行われる背景
4 歴史
5 記録
6 関連項目
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日本国憲法68条は、内閣総理大臣が任意に国務大臣を任命し、また罷免できると定める(内閣総理大臣の国務大臣任免権)。この任免権は、内閣総理大臣の在任中、常に行使することができる。もっとも、あまり頻繁に行使すると、内閣総理大臣の人選能力に疑問が持たれ、内閣の首長としてのリーダーシップを棄損するという政治的理由のため、その行使は控えられることが多い。ただ、やむを得ない事情により、内閣総理大臣が国務大臣の一人を更迭(もしくは当該国務大臣が自発的に辞任し)、新たに国務大臣を任命することはある。このような場合には、内閣の構成員は変わるものの、内閣改造とは呼ばれない。
内閣総辞職や衆議院議員総選挙の後に国会において行われる内閣総理大臣指名選挙(首班指名選挙)とは異なり、内閣総理大臣の任期はそのまま継続する。このため、宮中において天皇が新国務大臣の任命を認証する認証官任命式は行われるが、内閣総理大臣の親任式は行われない。また、内閣総理大臣である人物が引き続き国会で首班指名を受けて再び組閣した場合には、「第○次某内閣」(例、第1次大平内閣から第2次大平内閣へ)と次数を重ねて表記するのに対して、内閣改造の場合には次数は変わらず「某内閣改造内閣」(例、第3次小泉内閣から第3次小泉内閣改造内閣へ)と表記される。まれにテレビニュースなどでも、改造後の内閣の次数を誤って呼んでいる場面が見られる。なお、内閣改造が複数回行われた場合には「某内閣第○次改造内閣」(例、第2次中曽根内閣第1次改造内閣から第2次中曽根内閣第2次改造内閣へ)と表記される。
内閣改造は、憲法第68条に定める国務大臣任免権に基づき、内閣総理大臣がすべての国務大臣の辞表をとりまとめ、国務大臣を新たに任命するという形式をとる(閣僚として留任する者には辞表を返還する)。なお、改造内閣において新たに閣僚となる者のみ「国務大臣に任命する」と発令され、閣内異動や留任の場合を含め、改造前から引き続き閣僚となる者には官記は発せられない(形式的に辞表を提出しているが、その当人に対しては国務大臣としての空白期間が生じないため)。ただし、例えば総務大臣から外務大臣に「横滑り」となる場合には、改めて内閣総理大臣から補職辞令がなされる(この補職レベルの異動は総理が一方的に命じたり免じたりすることができるため、「総務大臣を辞する」旨の辞表はない。憲法で定められ内閣という合議体の議員である国務大臣と、法律で定められた行政機関の長である主任の大臣(各省大臣)の地位とは切り離して扱われる)。また、改造に伴って閣僚でなくなる者については、形式的には自発的な辞任であるため、辞令書には「願に依り本官を免ずる」と記載される。
内閣改造は通常、新内閣発足後1年ほど経過したときに、国務大臣の相当数を一度に入れ替えないしその担当を替える(横滑りさせる)ことが多い。
内閣改造が行われる背景としては、次の2点が挙げられる。まず第一に、内閣総理大臣が国務大臣任免権を行使することにより、そのリーダーシップを維持拡大し、内閣の刷新と政権基盤強化を図るためである。内閣総理大臣がより適当と考える人材を登用し、あるいは適所に配置換えし、また後継者を重要ポストで処遇し、さらには与党内のライバルを閣内に取り込んで反対行動を封じるなど、内閣の行政遂行能力を向上させるとともに、人事によって自らの政治力を高めることを目的とする。
第二に、自由民主党の長期政権下では、内閣改造及びそれと併せて行われる幹事長など党役員の交替は、定期人事異動的な色彩が強く、慣習により漫然と行われてきた。ある程度当選回数を重ねた国会議員は、特に精通した政策分野などと関わりなく、とにかく大臣に任命されることを切望する、いわゆる大臣病にかかる。この大臣病患者たちの不満に応えるため、自民党の各派閥は、改任の必要がないにも関わらず、組閣から1年ほど経過したあたりで大臣の顔触れを変えることを要求しはじめ、内閣総理大臣も派閥の支持を得るためにこれを受け容れ、時機を見て改造を行うことが慣習となった。もともと替える必要性が低いため、適材を適所に配置するという気概は薄れ、派閥が当選回数順に推薦した人物を漫然とはめ込む派閥順送り人事が横行した。このことはまた、大臣・内閣の官僚に対する指揮・管理機能が形骸化し、官僚機構の政治に対する自立性が強いという状態をもたらしたともいえる。このような順送り人事に対する批判は強かった。
1990年代から2000年頃にかけて進められた選挙制度改革・行政改革の結果、内閣総理大臣が従来よりも強い主導力を発揮しやすい(派閥からの掣肘を受けにくい)環境が整ったため、近年では組閣の際に派閥の推薦を受け付けず、内閣総理大臣が任意に与党内あるいは民間の人物を登用する一本釣り人事や、複数の主要閣僚が改造後さらには内閣交替の後も留任するということが見られるようになった。
戦前にも内閣改造は存在した。しかしながら大日本帝国憲法(明治憲法)第55条に「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責めに任す」とあったように、明治憲法下での内閣総理大臣は「同輩中の首席」という位置付けで、あくまでも「天皇を補佐する政府の最高責任者」とされ、総理大臣の権限は制限されていた。
1941年、首相の近衛文麿が、松岡洋右外務大臣を更迭したいがために、一旦内閣総辞職をし、改めて天皇から大命降下を拝受して外相を松岡から豊田貞次郎に交代させて『第3次近衛内閣』という形の事実上の「内閣改造」をするという荒技を駆使しなければならなかった例もある。
また、加藤高明内閣が1925年8月2日に護憲三派連立は崩れて憲政会単独内閣となったことは、今日では内閣改造とされている。
新憲法下にあっては、首相に閣僚の任免権や衆議院の解散権が付与され、その権限は格段に強化された。吉田茂は「ワンマン宰相」と称され、その人事権を背景として内閣改造を権力掌握のために有効に使った最初の首相である。