共謀共同正犯(きょうぼうきょうどうせいはん、英語:co-conspirator; co-principal in conspiracy)とは、共同実行の意思の形成過程にのみ参加し、共同実行には参加しなかった形態の共同正犯をいう。
日本の刑法
刑事法
刑法
刑法学 ? 犯罪 ? 刑罰
罪刑法定主義
犯罪論
構成要件 ? 実行行為 ? 不作為犯
間接正犯 ? 未遂 ? 既遂 ? 中止犯
不能犯 ? 相当因果関係
違法性 ? 違法性阻却事由
正当行為 ? 正当防衛 ? 緊急避難
責任 ? 責任主義
責任能力 ? 心神喪失 ? 心神耗弱
故意 ? 故意犯 ? 錯誤
過失 ? 過失犯
期待可能性
誤想防衛 ? 過剰防衛
共犯 ? 正犯 ? 共同正犯
共謀共同正犯 ? 教唆犯 ? 幇助犯
罪数
観念的競合 ? 牽連犯 ? 併合罪
刑罰論
死刑 ? 懲役 ? 禁錮
罰金 ? 拘留 ? 科料 ? 没収
法定刑 ? 処断刑 ? 宣告刑
自首 ? 酌量減軽 ? 執行猶予
刑事訴訟法 ? 刑事政策
目次
1 学説
1.1 共謀共同正犯の成立要件
2 判例
3 改正刑法草案
4 関連項目
4.1 その他
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そもそも、共同実行の意思の形成過程にのみ参加し、共同実行には参加しなかった者(共謀共同正犯)も「共同して犯罪を実行した」といえるのかについて議論がある。最高裁判所はこれを肯定する。
「行為」を「共同」していない、すなわち自らの手を汚していない者についても共同正犯の成立を認める点につき、個人責任原理の無視、ドイツ型理論からの逸脱、現行刑法の立法趣意の無視などを指摘する批判的な学説は多かった。これらのドイツ流の形式的犯罪論に立脚する学説は、60条の文言を限定的に解し、主に草野豹一郎以降、判例により共謀共同正犯概念が創出されてから今に至るまで、これを批判し続けている。
しかし、日本の「犯罪計画の中心的立案者を首と為す」という思想、すなわち、犯罪の中心人物(主犯)こそが、正犯であるという実務の考え方を修正するには至らなかった。「最早、修正を迫る合理的・現実的理由が無い」との見解を持つ者も少なくない(また、ドイツにおいても、もはや、形式的犯罪論は通説とは言い得ない。共同正犯の分野において言えば、正犯概念を形式的に限界付ける形式的客観説は支持を失い、行為支配論が圧倒的通説となっている)。団藤重光、平野龍一に代表されるように、日本の学説上も、共謀共同正犯を肯定した上で、その成立範囲を適切なものにしようとする見解が通説といえよう。
また、犯罪計画の首謀者は、計画を立てて指示はするが、犯行には参加しない場合も多く、かくの如き者を「従たる者」である教唆で割り切ることは、刑法に対する社会的な要請との齟齬を生じさせる可能性もある(法定刑の上では共同正犯でも教唆犯でも扱いには変更はないが、裁判実務上の量刑感覚においては従犯である教唆犯より正犯である共同正犯の方が重くなりやすいといわれる)。
共謀共同正犯との対比から、共同実行を行った共同正犯類型を、実行共同正犯と呼ぶことがある。
共謀共同正犯の成立要件については、以下の3要件を立てる説が有力である。
共同の意思ないし正犯意思:「共同の意思」を主唱するのは大谷實、「正犯意思」を主唱するのは前田雅英である。
共謀の事実
共謀に基づく実行行為があること
判例
練馬事件(最高裁1957年(昭和33年)5月28日大法廷判決)
共謀共同正犯が成立するためには、2人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よって犯罪を実行した事実が認められなければならない。
他人の行為をいわば自己の手段として犯罪を行ったという意味において、その間刑責の成立に差異が生じると解すべき理由はない。
この練馬事件に発する判例理論は次のように整理できる。 まず、共同正犯の成立要件は次のとおりである。
共謀
共謀に基づく実行行為
そして、一部の者しか実行行為に出なかった場合が共謀共同正犯であり、その成否には共謀の成否が決定的に重要となる。ここでいう共謀の内容は、?犯罪を共同して遂行する合意(これのみを「共謀」と呼ぶ用語法もある。)と?正犯意思(自己の犯罪として行う意思)に分けることが可能である。謀議行為は特に?の認定のための重要な間接事実ではあるが、必ずしもその認定が必要なわけではない。?に関しては、犯罪事実の相互認識だとか意思の連絡といった表現もなされるが、これらの関係は必ずしも明らかではない。