公(こう)とは、古代の中国語では個々に細かく分かれた「私」を包括した全体を意味する語である。 また、一部に偏らないという意味を含む。このことから「公平」という熟語を生ずる。
目次
1 概要
1.1 漢字の成り立ち
1.2 「国家」
1.3 古代中国の理念
2 日本において
2.1 日本語の中の「公」
3 中国における公の称号
4 ヨーロッパにおける公の称号
4.1 ドイツ
4.2 イングランド及びウェールズ
4.3 ルーシ
4.4 概観
5 関連項目
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漢字の成り立ち
ものごとを個別に細かく分け、回りから見えなくした様をあらわす「私」の旁の部分「厶」に、 入り口を開けて包み隠さず明らかにすることをあらわす「八」を組み合わせた会意文字である。
「国家」
個々人の「私」に対する全体としての「公」は、のちに転じて国家を指すようになった。
国家の官職に就いている士を公士といったり、国家に属する民を公民といったりするようになった。
さらに、封建制のもとでは国家の支配者である君(君主)が国家を体現する存在であることから、君のことを公という用法が生じた。
「王」の称号をもつ君は天子のみであったから、春秋時代までは周以外の国の君は公とのみ称した。
天子である王(のちには皇帝)も君であるから公であり、天子の家である朝廷を公上と尊称したり公家と呼んだりすることができる。
日本において
周の最高位にある3人の大臣が三公と呼ばれたことから、公は大臣の尊称としても用いられるようになり、のちには身分の高い人や年配の人に対して広く用いられる尊称となった。
平安時代以降、大臣に任ぜられた貴族への敬称として名の下に公の敬称をつける他、特に位階に関わらず自らの主君への尊称として名の下に公とつけて呼ぶ例が平安時代以降、江戸時代まで続く。
明治時代においては、専ら、公爵を授爵した人への敬称をする。尚、類例として、三位以上及び参議に任ぜられた人への敬称として卿とつけて敬称する。
武家政権(封建制)の時代、とくに鎌倉時代末期以降に、将軍を公方と呼ぶようになる。
これは、将軍の権威が増したことにより、国家を体現する公としての性格を将軍が得たことを示している。この際、日本独自の感覚として「私」と「公」が対立関係に転化したと思われる。
日本語の中の「公」
「対立関係に転化」に補足して、後代の用例として「滅私奉公」「公私混同」という使い方がある。
「忠犬ハチ公」のように動物や友人に対する愛称としての用法。
「先公」(先生の意)などと蔑称としての用法。
中国における公の称号
儒家によって理想化された周の封建制理念においては、諸国の君は周の王である天子によって爵(爵位)を授けられた諸侯であるとみなされるようになった。
そこにおいて諸侯の爵位は公・侯・伯・子・男の五等爵に分かれていたとされる。
公の爵位は魯公など周王室の親族出身の諸侯にのみ許される諸侯の最高位であると考えられるようになった。
天子の国である周を除く諸国では、君主の称号として王にかわって公がもっぱら用いられた。
戦国時代に有力な諸侯が王の称号を名乗ったため天子による「王の称号独占」は消滅した。
さらに漢では有力な皇族や功臣が諸侯として王に封ぜられたので、公の位は王に継ぐ諸侯の称号として皇族や功臣に与えられるようになった。
その後、爵位に関する制度の変遷とともに様々に内実を変化させつつ、20世紀初頭の清の滅亡に至るまで、公の称号は皇族や功臣に与えられる爵位として用いられていた。
公は、東アジアにおける五等爵の公から転じてヨーロッパで貴族の称号として用いられるいくつかの語の訳語としても用いられる。公と訳されるヨーロッパ諸語は、大きく分けてラテン語で「第一人者、君主」を意味するprinceps(英語のprince)に関連するものと、同じくラテン語で「指導者、指揮官」を意味するdux(英語のduke)に関連するものの2種類がある。
princeps系統の称号はプリンケプスの項で詳しく述べるように、ローマ皇帝の称号に起源をもち、本来の意味は独立した領邦をもつ君主のことである。