公民権運動
不朽の名作から
ケータイ小説(笑)まで

[Wikipedia|▼Menu]
ワシントン大行進参加中のサミー・デイヴィスJr.(1963年)

公民権運動(こうみんけんうんどう、American Civil Rights Movement)とは、1950年代から1960年代にかけてアメリカ黒人アフリカ系アメリカ人)が公民権の適用を求めて行った大衆運動である。
目次

1 背景

2 運動

3 成果

4 関連項目

4.1 参考文献

4.2 人物

4.3 組織

4.4 映画

4.5 判例


5 脚注

6 外部リンク

//


背景

アメリカ合衆国では1860年代南北戦争によって黒人奴隷 の「解放」が実現したことになっていたが、戦前に黒人奴隷を合法としていた南部諸州では依然として黒人に対する蔑視が続き、19世紀末から20世紀初頭にはこれら南部諸州で人種分離政策が合法的に進められた。交通機関やレストラン学校等の公共機関で白人と黒人を分離するもので、このほか識字率の低い黒人の投票権を事実上制限したり、住宅を制限することも合法とされてきた。全米黒人地位向上協会(NAACP)はこれらの差別に立ち向かい、第二次世界大戦では多数の黒人兵が血を流したにもかかわらず、南部諸州における黒人差別立法は1950年代になっても改められなかった。


運動ワシントン大行進で「I Have a Dream」で知られる演説を行うキング牧師

1955年12月1日アラバマ州モンゴメリーで発生した、バスの白人専用座席への着席をめぐり起きたローザ・パークス逮捕事件に抗議して、マーティン・ルーサー・キング牧師らが1年にわたるバスボイコット運動を展開し、1956年に合衆国最高裁判所がバス車内における人種分離を違憲とする判決を出すと、南部諸州各地で黒人の反差別運動が盛り上がりを見せた。

これらの運動は黒人をはじめとする有色人種がアメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、公民権運動と呼ばれる。

キング牧師らが著名な指導者となったが、数多くの組織やアメリカ先住民日系アメリカ人などの他の有色人種や白人を含む個人が参加して行われたもので、運動の形態も、訴訟、街頭でのデモからレストランでの座り込みに至るまで多岐に渡った。これに対して警察当局は治安維持を理由にデモ隊を過酷に弾圧するなどしたため、黒人暴動に発展することもしばしばであった。

これらの公民権運動は数十万人の参加者を集めた1963年ワシントンD.C.における大行進で最高潮に達した。この時、キング牧師が行った「I Have a Dream」の演説は、アメリカの歴史に残るものとして有名である。


成果

当時のジョン・F・ケネディ政権は公民権運動には比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離法(一般にジム・クロウ法と総称される)を禁止する法案を次々に成立させた。ケネディが1963年11月に凶弾に倒れると、ケネディを継いだ、同じく公民権運動に同情的で公民権法の制定に積極的であったリンドン・ジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定された。ホワイトハウスにてリンドン・B・ジョンソン大統領と話すキング

また、その後ジョンソン政権下では積極的に黒人の社会的、経済的地位を向上させるために、役所や企業、大学に黒人を優先的に(若しくは白人と同数)採用することを義務付けるアファーマティブ・アクション政策が取られた。一方、黒人運動はキング牧師の暗殺(1968年)によって平和的・合法的な反差別運動から過激な運動(1965年に暗殺されたマルコムXの影響が強いとされる)へと変化していく。

キング牧師の暗殺直後、全米125の都市でいっせいに暴動が発生し、トリニダード・トバコ生まれのストークリー・カーマイケル率いる急進派の学生非暴力調整委員会(SNCC)や、共産主義の影響を受け、都市部のゲットーにおける自衛闘争の開始を主張したブラックパンサー党、黒人による独立国の樹立を目指した新アフリカ共和国(Republic of New Africa)といった過激派の政党が現れ、闘争を継続したが、1970年代中頃になって運動は沈静化した。


これは便利!
本屋の在庫も探せます

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:12 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki