日本の官制(にほんのかんせい)では、日本の前近代、とくに律令制期の廃止された統治機構について概観する。なお近代の官制は近代日本の官制を、現在の官制については日本の国家機関を参照。
目次
1 律令制(大宝律令)以前
2 律令制(大宝律令)以後
2.1 中央官制
2.1.1 二官
2.1.2 八省
2.1.3 弾正台
2.1.4 衛府
2.1.5 東宮
2.1.6 馬寮
2.1.7 兵庫
2.1.8 後宮
2.1.9 家令
2.1.10 その他の主な令外官
2.2 地方官制
2.3 四等官
3 官位相当表
3.1 養老令
3.2 令外官
4 関連項目
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律令制以前において、体系的な官制は整備されていない。
ヤマト王権の形成期、「姓(カバネ)」と呼ばれる血縁集団から「氏(ウジ)」と呼ばれる同族集団が現れ、この「氏」や「部(ベ)」と呼ばれる職能集団が、それぞれの勢力や能力によって王権内の仕事を分掌した。「氏」や「部」は各々、土地と人民を所有・支配した(部民制)。次第に、「姓」・「氏」や「部」は、王権によって序列化・統制され、私的な集団から公的な制度へと編成されて行く。(→氏姓制度、八色の姓)
一方、皇族(大王の一族)を中心とする支配体制を強化し、血縁や勢力にとらわれない人材登用を進めるため、官位(冠位)の制度(官職と位階を関連づける制度)も取り入れられる。603年(推古11年)、聖徳太子が制定した冠位十二階は、その嚆矢である。この官位の制度は、冠位十二階から律令による官位制まで、数度の変遷がある(冠位・官位制度の変遷)。
氏姓制度と官位制、および職掌を体系的に整備したのが律令制である。668年(天智8年)に最初の「令(りょう)」である近江令が制定され、689年(持統3年)の飛鳥浄御原令において初めて体系化されたといわれている。701年(大宝元年)に成立した大宝律令は、その集大成となった。
律令制(大宝律令)以後
律令制についての詳細は律令制を、
官位制についての詳細は官位を、
位階についての詳細は位階を、
それぞれ参照。
以下は、律令制の中の官制、特に官職について説明する。
中央官制は、二官八省を基本とする体制である。君主である天皇の下に、朝廷の祭祀を担当する神祇官と国政を統括する太政官が置かれ(二官)、太政官の下に実際の行政を分担する八省が置かれた。二官八省の他にも、行政組織を監察する弾正台や宮中を守る衛府が天皇の直轄として置かれた(まとめて、二官八省一台五衛府)。さらに八省のもとには職・寮・司と呼ばれる実務機関が設置されていた。後に組織が時代に合わなくなると、令に規定の無い官(令外官)を設けることで対処した。
中国の律令制が皇帝にすべての権限を集めて三省(中書省・門下省・尚書省)がこれを補佐する体制であるのに対し、日本の律令制では、天皇と各省の間に天皇の代理機能を果たす緩やかな合議体、太政官を置いたことに特徴がある。
なお、「官」とは役所そのものを指し、「役所の職員」を指す現在の用法とは異なる。
二官
神祇官 - 神祇祭祀を司る。
太政官 - 国政一般を司る。太政大臣・左大臣・右大臣と大納言などの合議体による議政官組織と、その下の少納言局・左右弁官局からなる。後に内大臣・中納言・参議が置かれた。
少納言局 - 太政官の事務・秘書部局。少納言・大外記・少外記・史生・使部からなる。
左右弁官局 - 左弁官局と右弁官局。議政官組織の指揮の下に政務の執行を担当する。大中少弁(弁官)・大少史(史官)・史生・官掌・使部からなる。
巡察使
太政官厨家
左弁官局が中務省・式部省・治部省・民部省の4省を、右弁官局が兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省の4省を管轄する。
中務省 - 天皇に侍従し、詔勅の作成・宣旨、伝奏などの宮中事務や位記・戸籍などの事務を掌る。四等官の他、侍従・内舎人・内記・監物・主鈴・典鑰などの品官(ほんかん)が所属する。