全日本F3000選手権(ぜんにほんエフさんぜんせんしゅけん、All Japan F3000 Championship)は、1987年(昭和62年)から1995年(平成7年)まで日本で開催されていた自動車レースの1カテゴリー。F3000規定のフォーミュラカー(オープンホイール)を使用した四輪レースで、当時の国内トップカテゴリーの1つであった。
目次
1 概要
2 マシン
3 テレビ中継
4 歴代チャンピオン
5 関連項目
6 外部リンク
//
1987年より国内トップフォーミュラである全日本F2選手権に取って代わって開催。国際F3000から2年遅れでのスタートとなった。
ただ日本自動車連盟(JAF)の意向は、1987年も全日本F2(条件付でF3000車両の参加を認める)を続け、1988年から全日本F3000として開催するというものであった。しかし実質的な運営団体である各主催者や参加者は、JAFの意に反して1987年からのF3000化を決断し実行。この為、1987年のF3000レースに全日本選手権は掛けられておらず、全日本F2は参加者ゼロでチャンピオン該当者なしという事態となった。
翌1988年より正式に「全日本F3000選手権」として開催されることとなった。
シリーズが始まった時期がバブル景気とF1ブームが重なった事や、若手外国人ドライバーの多数参戦により驚異的な充実振りをみせ、片山右京・エディ・アーバイン・ハインツ=ハラルド・フレンツェンなどF1にステップアップしたドライバーも多数生まれた。しかし、バブル景気の崩壊後は次第に参加台数が減少し、観客も減少していった。
1996年、国際F3000のワンメイク化とは違う独自性を持ったカテゴリー「フォーミュラ・ニッポン」に移行する事となった。
マシン
エンジン
無限(現・M-TEC)、フォード・コスワース、ジャッドなどが、エンジンチューナ(東名エンジン、ケン・マツウラ レーシングサービス他)より供給された。
シャシー
マーチ、ローラ、ラルト、レイナードといったヨーロッパの量産コンストラクターが主流で、日本の童夢、ムーンクラフトも参戦。1994年には童夢が純国産シャシーでタイトルを獲得している。
タイヤ
ブリヂストン・ダンロップ・横浜ゴムの3メーカーが参加。国際F3000ではエイヴォンがバイアス構造のタイヤを独占供給していたのに対し(1992年よりラジアルタイヤに移行)、各メーカーが早くからラジアルタイヤを投入して競い合ったことから、グリップ力は国際F3000よりも強力で、よりF1に近いものであったと言われている。ただし最終年の1995年は、阪神・淡路大震災によりダンロップの神戸工場が壊滅的な打撃を受けた為、ブリヂストンと横浜ゴムの2社供給となった。
全日本F2時代から開催サーキットにより中継する放送局及び系列がバラバラで、全国ネットされるレースとローカル放送だけのレースが混在していた。
鈴鹿は全日本F2000時代の1974年から一貫して中部日本放送、富士はテレビ朝日とテレビ東京とで半分ずつ、美祢は山口放送、菅生は東日本放送、十勝は北海道テレビ、オートポリスは大分放送などが中継を行っていた。
1994年より鈴鹿の中継がフジテレビに移行(他のサーキットは従来のまま)。全日本F3000最終年の1995年に全戦の放映権をフジテレビが取得して全国ネットの一元化が図られた。
年チャンピオン
(エントラント)
1987年 星野一義
(ホシノレーシング)
1988年 鈴木亜久里
(Footwork Sports レーシングチーム)
1989年 小河等
(オートビューレックモータースポーツ)
1990年 星野一義