光文社

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株式会社光文社
Kobunsha Co., Ltd.種類株式会社
本社所在地〒112-8011
東京都文京区音羽1丁目16番6号
電話番号03-3942-2241(番号案内)
設立1945年10月1日
業種小売業
事業内容書籍・雑誌の発行・発売
代表者代表取締役社長 高橋基陽
資本金1,800万円
従業員数323名(2008年8月25日現在)
外部リンク ⇒http://www.kobunsha.com/
特記事項:財団法人 光文シエラザード文化財団(関連団体)
 ・編・歴 

財団法人光文シエラザード文化財団
Kobun Scheherazade Foundation種類財団法人
本社所在地〒〒171-0014
東京都豊島区池袋三丁目1番2号 光文社ビル1F
電話番号03-3986-3024
事業内容

ミステリー文学を中心とする作家および劇団等に対する助成、顕彰事業
ミステリー文学等に関する資料館の管理・運営事業
「ミステリー文学資料館」('99年4月1日開館。ただし、1階部分のみ)
ミステリー文学等に関する講演会の開催
その他、上記の目的を達成するために必要な事業
代表者理事長 並河 良
外部リンク ⇒http://www.kobunsha.com/
 ・編・歴 

株式会社光文社(こうぶんしゃ)は、日本出版社1945年10月1日創業。音羽グループに属する。

数々のベストセラーを生み出したカッパ・ブックスの成功は、新書版ブームのきっかけとなった。『少年』により、戦後月刊少年漫画誌の黄金時代を作った。

JJ』の創刊が、後年の女子大生向け月刊ファッション雑誌の隆盛に与えた影響は計り知れない。現在は『JJ』のほか、24歳?28歳前後のOLが主たる読者層の『CLASSY.』や、より若い世代(女子高生などハイティーン)向けの『bis』といった女性誌が人気を博す。光文社
目次

1 歴史

1.1 創業の経緯

1.2 神吉晴夫の台頭

1.3 労働争議

1.4 その後


2 現在の出版状況

2.1 女性誌

2.2 男性誌

2.3 総合誌

2.4 書籍シリーズ

2.5 かつて発行していた雑誌

2.6 主なベストセラー


3 補足

4 著名なOBOG

5 外部リンク

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歴史


創業の経緯

1945年講談社は激震に見舞われていた。太平洋戦争が終わり、出版業界内部は、戦争協力者への責任追及の声が激しくあがっていた。戦前から活発な活動をしていた講談社は、その最大の標的となったのである。当時の経営陣は、最悪の事態に備え、別働隊を組織した。それが光文社である。1945年11月のことであった。

しかし、責任追及の声は次第に弱まり、講談社はピンチを乗り切った。そのため光文社は、いわば梯子を外された状態になってしまったのである。


神吉晴夫の台頭

光文社が出版界の第一線に躍り出ることが出来たのは、その講談社から一足早く光文社に移っていた神吉晴夫の手によってである。神吉は「創作出版論」という独特の編集理論をもっていた。それによって、次々とベストセラーが出されていく。1951年「少年期」(波多野勤子)がその嚆矢であった。

そして1954年、「カッパ・ブックス」の創刊。この新書シリーズは、その後の出版界を長く席巻する。

1959年 『にあんちゃん』(安本末子)

1967年 『頭の体操』(多湖輝) - シリーズ累計1200万部以上

1971年 『冠婚葬祭入門』(塩月弥栄子) - シリーズ累計616万部以上

など。青春出版社KKベストセラーズ祥伝社などとともに、新書ブームの一翼を担った。

また1959年には「カッパ・ノベルス」を創刊。『点と線』(松本清張)『日本沈没』(小松左京)『悪魔の飽食』(森村誠一)などが送り出されている。

雑誌においても、1958年創刊の『女性自身』で女性誌ブームを起こし、1965年には『宝石』も創刊された。


労働争議

順風満帆に見えた光文社だが、1970年に大きな事件が起こる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki