注意:この記事には被害者の名前が掲載されています。事件に関して、被害者側が積極的に実名を用いて活動してきた経緯を踏まえ、議論(1),(2)を経て、ウィキペディア編集者の合意のもとに氏名の掲載をしております。
光市母子殺害事件(ひかりしぼしさつがいじけん)は、1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の少年により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。
目次
1 事件の概要
1.1 弁護側主張
2 被害者側の動き
3 裁判の経過
4 社会への影響
4.1 TVで懲戒請求呼びかけ
5 脚注
6 関連項目
7 関連書籍
8 外部リンク
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以下、検察側主張、及びこれまでの判決が認定してきた内容に基づく事件の概要である。
1999年4月14日の午後2時半頃、当時18歳の少年が山口県光市の社宅アパートに強姦目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した少年は、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。
その後少年は女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。
少年は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4月18日に逮捕された。
上告審の段階になって主任弁護人となった安田好弘は、接見内容をもとに被告に母子を殺害する故意が無かったことを主張した。しかし、最高裁判所判決では「被告は罪の深刻さと向き合って内省を深めていると認めるのは困難」として採用されなかった。
広島高裁での差し戻し審では、「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」として死刑の回避を求める方針を明らかにしている。
以下は、弁護団の主張の一部である。
強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた
(乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ
(検察は)被告を極悪非道の殺人者に仕立て上げ、死刑にしようとしている
被害女性の夫であり、被害女児の父である本村洋(もとむら・ひろし、1976年3月19日 - )は犯罪被害者遺族として、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、同様に妻を殺害された元日本弁護士連合会副会長岡村勲らと共に犯罪被害者の会(現、全国犯罪被害者の会)を設立し、幹事に就任した。さらに犯罪被害者等基本法の成立に尽力した。本村は広島大学工学部入学直後に被害者女性と知り合い(当時共に18歳)、遠距離恋愛の末、結婚。
また、裁判の経過中、死刑判決を望む旨、強く表明し続けてきた。たとえば2001年12月26日に行われた意見陳述の際に被告人に対し『君が犯した罪は万死に値します。いかなる裁判が下されようとも、このことはだけは忘れないで欲しい』と述べている。また一審判決後には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」と発言していたが、二審判決に際しては「裁判官も、私たち遺族の気持ちを判った上で判決を出された。判決には不満だが裁判官には不満はない」と発言している。犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて活動しながら、2008年4月22日の広島高裁における差し戻し控訴審の判決公判を迎える。
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1999年6月、山口家庭裁判所が、少年を山口地方検察庁の検察官に送致することを決定、山口地検は少年を山口地裁に起訴した。
1999年12月、山口地検は、死刑を求刑した。
2000年3月22日、山口地方裁判所[1]は、死刑の求刑に対し、無期懲役の判決を下した。
2002年3月14日、広島高等裁判所は、検察の控訴を棄却した。山口地裁および広島高裁の判決は、いずれも、犯行時少年が18歳と1ヶ月で発育途上にあったことや、殺害については計画性がないこと、不十分ながらも反省の情が芽生えていることなどに着目して判決を下した。ただし、広島高裁は更生の可能性について、「更生の可能性が無い訳ではない」と曖昧な判断をしていた。