光妙寺 三郎(こうみょうじさぶろう、1848年8月 - 1893年9月)は山口県防府市出身の外務官・検事・帝国議会議員である。
人物
山口県防府市に浄土真宗の寺、光妙寺に生まれた。
1865年長州藩諸隊の一つ鴻城隊に入隊した。このころは三田、光田姓を名乗った。
井上馨の書記役を務めた。
横浜フランス語伝習所に入学し、長州藩藩費留学生としてフランス留学した。同じくフランス留学した西園寺公望とパリで親友となった。この頃から光妙寺姓をなのるようになった。
1878年に帰国、法制局専務などになった。
1880年には前年に外務卿になった井上馨のもとで、外務省少書記官に転任した。
その年帰朝した西園寺が東洋自由新聞の社長に就任すると、官僚のまま編集社員として加わったが自由民権的な新聞であったことが問題になった。
1882年にフランス在勤を命じられ翌年パリに赴任した。
1884年帰朝命令を受け、翌年外務省を免官となった。
その後明治法律学校の講師、検事、帝国議会議員などを務めた。
参考文献
山口昌男著『知の自由人たち』(NHKライブラリー)
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更新日時:2008年4月24日(木)06:20
取得日時:2008/10/16 05:22