主要国首脳会議(しゅようこくしゅのうかいぎ、英称:Group of Eight)とはアメリカ合衆国、イギリス、イタリア、カナダ、ドイツ、日本、フランス、ロシア(五十音順)の8ヶ国及びその年のEU議長国の政府首脳および欧州委員会委員長が年1回集まり、国際的な経済的、政治的課題について討議する会議である(その他の国の首脳や国際機関の代表も例外的に出席)。合わせて、数多くの下部会議や政策検討も行われる。
目次
1 概説
2 グループの編成と活動
3 G8への反発
3.1 G8への批判
3.2 G8とテロリズム
4 出席者
4.1 G8リーダー
4.2 その他
5 サミット開催地の一覧
5.1 今後のG8サミット開催地
6 主要国首脳会議にまつわる事柄
6.1 日本で開催される年のジンクス
6.2 首脳の写真撮影の立ち位置
6.3 転語
7 関連書籍
8 関連項目
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G8(ジーエイト)、主要8ヶ国首脳会議とも呼称される。一般には「サミット」と呼ばれることも多い。これは、首脳の地位を山頂に擬えたものである。ロシア参加前は先進国首脳会議、G7(ジーセブン)、先進7ヶ国首脳会議と呼ばれていた。
主要国首脳会議は1973年のオイルショックとそれに続く世界不況に起源を持つ。これらのトラブルによって米国でライブラリーグループが生まれた。これは米国、ヨーロッパ、および日本の財務を預かる政府高官が集まり、経済的課題を討議する会議である。1975年、フランス大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンは工業化された6つの主要民主主義国の首脳をフランス・ランブイエに招待しはじめての首脳会議を開催し、定期的に首脳会議を持つことを提案した。このときの出席者は、主催国を交代しつつ年1回会議を持つことに合意した。こうしてフランス、西ドイツ、イタリア、日本、英国および米国で構成されるいわゆるG6が生まれた。翌年のプエルトリコの首都サンフアンでのサミットで米大統領ジェラルド・フォードの要請によりカナダが参加したことにより、G7となる。
冷戦の終結に続く1991年にG7サミット終了後、ソ連(現・ロシア)とサミットの枠外で会合を行うようになった。ロシアは1994年のナポリ会合以降は首脳会議のうち政治討議に参加するようになり、1997年のデンヴァー会議以降は「世界経済」「金融」等の一部セッションを除き基本的に全ての日程に参加することになった。1998年のバーミンガム会議以降は従来の「G7サミット」に代わり「G8サミット」という呼称が用いられるようになった。さらに2003年のエビアン・サミット以降、ロシアは「世界経済」に関するセッションを含め完全に全ての日程に参加するようになった。一方ロシアは経済力が大きくないなどの理由により、7か国財務大臣・中央銀行総裁会議には完全参加していない(このため、現在ではG7と言えばこの大臣級会議のことを指す)。
ロシアの参加には米大統領ビル・クリントンの示唆などもあった。これは当時のロシア大統領ボリス・エリツィンに経済改革を進めさせ、またNATOの東への拡大に関して中立を保つようにさせるためのクリントン大統領のジェスチャーだった。他方2005年2月18日、米上院議員ジョー・リーバーマンとジョン・マケインがロシア大統領ウラジーミル・プーチンによって民主的、政治的自由が確保されるまではG8への参加を見合わせるようにロシアに呼びかけるなどの動きもあった。