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元(げん)は、元朝(げんちょう)ともいい、1271年から1368年まで中国とモンゴル高原を中心とした領域を支配し、その後は北へ逃れ、遊牧政権としては最終的には1635年まで存続したモンゴル人王朝であり、モンゴル帝国の大ハーン直轄世襲領である。正式の国号は大元(だいげん)。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 モンゴル帝国の再編
2.2 中国の統一支配
2.3 衰退への道
2.4 元の北走
2.5 その後の北元
3 政治
3.1 中央政府
3.2 地方制度
3.3 人材運用
3.4 民政制度
4 経済
4.1 中国統一の経済効果
4.2 税制
4.3 金融政策と塩専売制度
4.4 歳出と国際商業
5 文化
5.1 宗教
5.2 科学技術
5.3 文学
5.4 美術
6 歴代皇帝
7 元の年号
8 出典・脚注
9 参考文献
10 外部リンク
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中国王朝としての元は、北宋崩壊以来の中国統一政権であり、元の北走後は明が中国統治を引き継ぐ。ただし、後述するように、元は制度や政治運営の特徴において、モンゴル帝国に受け継がれた遊牧国家特有の性格が強く、用語上でモンゴル帝国が伝統的な中国王朝の類型に変化したものであるというような誤解を避けるために、遊牧民の国を指すウルスという語を用いて特に大元ウルスと呼ぶべきであるとする意見もある。
元は、1260年、チンギス・ハーンの孫でモンゴル帝国の第5代大ハーンに即位したクビライ(フビライ)が、1271年にモンゴル帝国の国号を大元と改めたことにより成立し、モンゴル語ではダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス (Dai-on Yeke Mongγol Ulus) すなわち「大元大蒙古国」と称した[1]。つまり、1271年の元の成立は従来のモンゴル帝国の国号「イェケ・モンゴル・ウルス」を改称したに過ぎないとも解せるから、元とはすなわちクビライ以降のモンゴル帝国の大ハーン政権のことである[2]。