元文小判

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元文小判(げんぶんこばん)とは元文元年(1736年)5月に発行された一両としての額面を持つ小判であり、文字小判(ぶんじこばん)とも呼び、後の文政小判が発行されてからは、これと区別するため、古文字小判(こぶんじこばん)あるいは真文小判(しんぶんこばん)とも呼ばれた。

また元文小判および元文一分判を総称して元文金(げんぶんきん)、文字金(ぶんじきん)、古文字金(こぶんじきん)、あるいは真文金(しんぶんきん)と呼ぶ。元文小判

表面には鏨による茣蓙目が刻まれ、上下に紋を囲む枠、中央上部に「壹兩」下部に「光次(花押)」の極印、裏面は中央に花押、下部の左端に小判師の験極印、、吹所の験極印さらに右上に「文」字が打印されている。これは元禄金と区別するため「元」の使用を避けたことによる。

下部の左端の小判師の験極印および吹所の験極印の組み合わせにより「大」「吉」となったものは偶然大吉と呼ばれ、縁起が良い物として珍重されるが、元文小判以降は特製の献上小判も作成され、この極印は意図的に「大」「吉」が打たれている。
目次

1 略史

2 元文小判の量目および品位

3 元文小判の鋳造量

4 参考文献

5 関連項目

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略史

徳川吉宗米価引き上げ策を講じて、財政に困窮する武士および農民を救済しようと試みるが思うような効果を挙げるものではなかった。そこで町奉行であると伴に、官僚として優れた才覚を有する大岡忠相の提案を受け入れ、貨幣の品位を低下させ、通貨量を増大させる貨幣吹き替えに着手した。これは出目(利益)獲得が目的ではなかったため、旧金(享保金および慶長金)100両に対し、新金(文字金)165両という大幅な増歩を付けて交換するというものであった。純金量を約44%低下させる吹き替えであったため、このような大幅な増歩を付けても幕府には出目が入った。

一方。このような大幅な増歩での交換は通貨の急激な増大につながり、発行当初は急激なインフレーションに見舞われたが、やがて物価および金銀相場は安定し、文字金は広く普及するようになり80年以上の長期間に亘り流通することとなった。

通用停止は文政10年(1827年)1月末であった。


元文小判の量目および品位

規定量目は三五分(13.11グラム)である。

規定品位は六十六匁九分五厘六毛五糸位(金65.71%)、銀34.29%である。

明治時代造幣局により江戸時代の貨幣の分析が行われた。元文小判についてその結果は以下の通りであった。

65.31%

34.41%

雑0.28%

雑分はイリジウムなどである。


元文小判の鋳造量

『旧貨幣表』によれば、小判および一分判の合計で17,435,711両1分である。

一分判は総鋳造量の三分の一とされる。すなわち約5,811,904両(約23,247,613枚)である。小判は約11,623,808両という計算になる。


参考文献

『日本の貨幣』 小葉田淳、至文堂、1958年

『造幣局百年史(資料編)』 大蔵省造幣局、1971年

『江戸の貨幣物語』 三上隆三、東洋経済新聞社、1996年

『日本の貨幣の歴史』 滝沢武雄、吉川弘文館、1996年

『日本史小百科「貨幣」』 瀧澤武雄,西脇康、東京堂出版、1999年


関連項目

元文丁銀

二分判

南鐐二朱判

一分判

小判

1714年/正徳4年

享保小判

1736年/元文元年

元文小判

1819年/文政2年

文政小判


カテゴリ: 日本の硬貨 | 金貨

更新日時:2008年8月23日(土)07:50
取得日時:2008/11/05 00:24


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki