俵 孝太郎(たわら こうたろう、1930年11月12日 - )は元産経新聞政治部記者・同社論説委員、文化放送・フジテレビニュースキャスター、政治評論家。祖父は浜口内閣の商工大臣・俵孫一。近年は四月会(反創価学会系の宗教団体や評論家による、自社さ連立内閣と歩調を合わせた会合)の代表幹事を務めた。
目次
1 人物
2 年譜
3 主な著書
3.1 クラッシック関連の著作
4 出演
4.1 テレビ番組
4.2 CM
5 関連項目
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筑波大学附属高等学校、東京大学文学部倫理学科卒業。産経新聞社の政治部記者として報道現場の最前線に立ち、論説委員を務め、巻頭コラムの産経抄を担当した。のち、石井英夫を産経抄担当にしようとした社会部部長上がりの論説委員長・青木彰の人事に反発して1969年に産経新聞社を退社し独立した。
その後、産経新聞と同じフジサンケイグループの文化放送で1969年から9年間、ニュースキャスターを務める。文化放送との契約が満了した1975年からは、これも同じフジサンケイグループのフジテレビにて、1年半に渡って放送された朝のニュース番組『FNNニュース7:30』でキャスターを務め、1978年から放送をスタートした『FNNニュースレポート6:00』の初代キャスターを務めた後、1979年から山川千秋と代わって『FNNニュースレポート23:00』のメインキャスターを1987年3月まで8年半の長きにわたって務めた。また、ニュースレポートの冒頭挨拶「こんばんは、俵孝太郎です」はビートたけしらによくものまねされた。
1987年3月限りでニュースキャスターを「引退」したが、後に本人が語ったところによるとフジテレビのアナウンサーから「俵さんは定年がないからいいですねぇ」とやっかみをいわれ「冗談じゃない」と腹を立てて引退したとのこと。
その後は保守派の論客としてニュース番組のコメンテーターや討論番組の出演、地方での講演をこなし、日刊ゲンダイでコラムを連載している。他にも辛口派の批評誌として知られる新潮45に、当時の朝日新聞を中心とした言論界を批判する随筆を幾度も寄せたこともある。
1990年から放送された日本テレビのクイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』にパネラーとして1995年まで出演し、ご意見番的・知的な解答者として所ジョージに次ぐトップ賞回数を誇った。
クラシック音楽にも造詣が深く、それについての著書も出している。
年譜
1930年11月12日:東京に生まれる
1953年3月:東京大学文学部倫理学科卒
1953年4月:産業経済新聞社大阪本社入社
1959年8月:サンケイ新聞社東京本社に転属
1969年8月:同社退社 独立
1969年10月:文化放送ニュースキャスター
1978年10月:フジテレビニュースキャスター
1995年11月大蔵省審議会特別委員
主な著書
戦後首相論
敗戦・占領下の日本の歴史 戦争も戦後も知らない人たちへ
世界の中の日本最良の選択
どこまで続くヌカルミぞ 老老介護奮戦記
日本の政治家親と子の肖像
政治家の風景
No.2が日本の生き方だ!20世紀の選択
我、「朝日新聞」と戦えり 日本最後のタブーを斬る
責任国家の責任と誠治
新人類は日本を滅ぼす 目覚めよ!ニッポンの鬼軍曹
わが家のいしずえ 明治の父権教育
対論・政治改革の非常識、常識
クラッシック関連の著作
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CDちょっと凝り屋の楽しみ方
テレビ番組
FNNニュース7:30(フジテレビ) - 1975.10〜1976.03
FNNニュースレポート6:00(フジテレビ) - 1978.10〜1979.09
FNNニュースレポート23:00(フジテレビ) - 1979.04〜1987.03
マジカル頭脳パワー!!(日本テレビ) - 1990.10〜1995.03
CM
タブ・クリア(コカ・コーラ) - 1993年
豊年サラダ油・ECO-PAX(ホーネンコーポレーション≪現:J-オイルミルズ≫) - 1993年
ダイエット生(サントリー) - 2001年