信仰義認
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信仰義認(ラテン語 Sola fide)はルター神学の中軸をなす概念である。ルターは16世紀初頭当時のカトリック教会の腐敗を、行為義認(善行によって神は人をとする)説に由来するものと考え、これに対して、人は善行ではなく信仰によってのみ義とされるとパウロ書簡によって説いた。ルターの贖宥状批判はこの説に基づいている。

ルターは自ら翻訳した聖書の序文で、行為の伴わない信仰の虚しさを説く『ヤコブの手紙』を批判し、この文書を「藁の手紙」と呼んだ。ただしルターはこの記述をのちに削除した。 のちにルターはデジデリウス・エラスムスの『自由意志論』に反駁する書『奴隷意志論』においては、信仰義認に対して、自由意志による善行から救いが得られるというカトリック教会の説を否定する根拠づけとして、人は本来自由意志をもたないため、そもそも善行を行うことが出来ないと説いた。

ここにあるのは「信仰」「善行」「義認」をめぐるそれぞれの理解の衝突である。行為と善行を対立させるルターの解釈については、カトリック教会や東方正教会の論者からは、以下のような反論がなされてきた。曰く、善行が単独で救いをもたらすと説いているのではなく、信仰と善行が救いをもたらすのである、真の信仰は主観的な信仰ではなく必ず善行をともなわずにはおかないなどである。一方で、ルターの意思論や行為理解からすれば、真に善行といいうるのは、自分が神の救済を受けたいというようなレベルをすら超えて純粋な愛からなされうる行為のみである。そのような行為は、神の恩寵のうちにのみ可能であろう。そのとき善行は義認の原因ではなく結果としてのみ可能であり、「善行に拠る義認」という事態は存立し得ないということになる。結果としては、善行と信仰の必然的な結びつきをすべての論者は共有しつつ、しかしその結びつきのあり方をめぐって、かみ合わない議論が展開されてきたといえる。

ルーテル教会世界協議会とカトリック教会は1999年10月31日に「義認の教理についての共同宣言」(Joint Declaration on the Doctrine of Justification( ⇒en))に調印し、カトリック教会も信仰によって福音を理解することを公式に宣言した。この宣言では、トリエント公会議による信仰義認主張者への断罪はルーテル教会に適応されず、またルターによる信仰義認否定者への断罪はカトリック教会に適応されないと定めた。ルーテル教会内のリベラル派は、このことをもってカトリック教会が信仰義認の教理を自派に適応したと看做しているが、ルーテル教会内の保守派はそのような解釈を拒んでいる。なお2006年、世界メソジスト協議会は、この共同宣言を自派に適応することを決議した。 ⇒[1][2]


関連項目

義認論

宗教改革

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カテゴリ: キリスト教スタブ

更新日時:2008年6月12日(木)14:40
取得日時:2008/08/30 13:01


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