佐世保玉屋
Sasebo Tamaya Department Store Inc.種類株式会社 (未上場)
略称玉屋、タマヤ
本社所在地長崎県佐世保市栄町2番1号
設立1918年10月
業種百貨店
売上高179億円
関係する人物代表取締役 田中丸善保
外部リンク ⇒佐世保玉屋
表・話・編・歴
佐世保玉屋 アーケード口(2008年4月)
株式会社佐世保玉屋(させぼたまや、英称:Sasebo Tamaya Department Store Inc.)は、長崎県佐世保市に本店がある百貨店。長崎市に支店を置くほか、子会社が佐賀県伊万里市で百貨店を営業している。また、玉屋グループ発祥地佐賀県にある佐賀玉屋とは別資本であるが、ルーツを同じくする兄弟会社である。
目次
1 沿革
2 店舗
3 グループ
4 関連項目
5 外部リンク
//
沿革
1806年(文化3年) 田中丸善吉が、肥前国小城郡牛津村(現・佐賀県小城市牛津町)西町に荒物店「田中丸商店」として創業。
1894年(明治27年) 日清戦争を機として佐世保市松浦町に進出。
1911年(明治44年)田中丸合名会社(資本金20万円)設立。
1918年(大正7年) 九州初の百貨店となる「デパート田中丸呉服店」の設立を計画。
1920年(大正9年) 佐世保市栄町に鉄筋4階建てで開業。その後田中丸一族が分かれて、福岡市や佐賀市、小倉市(現・北九州市小倉北区)にも会社を作り進出。
1925年(大正14年) 「福岡玉屋」開業(現在は閉店)。佐世保で初めてのラジオが、食堂に設置される。
1928年(昭和3年) 座売販売から土間式販売へ移行。
1929年(昭和4年) マネキンガールを大阪から招く。
1930年(昭和5年) 「佐賀玉屋」開業。
1931年(昭和6年) 商号を玉屋へ改称。同年、1?5階までのエレベーターを新設。
1935年(昭和10年) 女性店員制服洋装制定モガ(モダンガール)で話題を集める。
1937年(昭和12年) 「小倉玉屋」開業(現在は閉店)。
1939年(昭和14年) 軍用機3機(玉屋報国号)を献納。
1941年(昭和16年) 佐世保玉屋へ改称。
1942年(昭和17年) ホンコン玉屋開業。店長は、田中丸善六(終戦時に閉店)。
1943年(昭和18年) 戦時体制の為、販売業務を縮小、一部が海軍及び海軍工廠関係の使用する所となる。
1945年(昭和20年) 佐世保大空襲で被災。
復旧に着手、同時に生活物資の配給並びに米軍に対する土産品の販売開始
1948年(昭和23年) 大水害、1階が浸水。
1950年(昭和25年) レストラン・タマヤ開店(佐世保駐留の国連軍対象のレストランとしてオープン)。
1965年(昭和40年) 長崎市にスーパーマーケット形式の「マルタマ住吉店」を開業。
1966年(昭和41年) 伊万里市に子会社を作り、「伊万里玉屋」を開業。
1969年(昭和44年) 長崎市に「長崎玉屋」を開業。
1973年(昭和48年) 佐世保市に「玉屋家具サロン」を開業(1991年、LIVING MUSEUM LIM(リビングミュージアム・リム)へ改称)。
1978年(昭和53年) 長崎市のベッドタウンとして発展する諫早市に「諫早玉屋」を開業(2006年閉店)。
1987年(昭和62年) 百貨店開業70周年記念として、佐世保市へ1,000万円寄贈(市は玉屋文化体育振興基金設立)。
2006年(平成18年) 玉屋創業200周年を迎える。
「玉屋」の商号は、一時、北部九州3県にネットワークを築くが、バブル崩壊などによる売上の低迷で福岡玉屋と小倉玉屋が相次いで閉店。現在は、西九州地域の百貨店として地域密着の姿勢を鮮明にしている。
店舗
佐世保玉屋(長崎県佐世保市栄町2番1号)
長崎玉屋(長崎県長崎市新大工町5番35号)
伊万里玉屋(佐賀県伊万里市伊万里町甲27番地)
玉屋グループは、それぞれの地域の事情にあった木目の細かい経営を行うことを基本とし、原則「一店一社」制をとる。それぞれの会社はルーツが一緒で、ブランドイメージも共通化しているが、法人としての資本的つながりは薄い。グループの核企業で今も生き残っている佐世保玉屋と佐賀玉屋も、相互の独自性を尊重し、必要以外の分野では物事に共同で取り組むことはあまりない。Webショッピングでも、両社が独自に事業を展開している。シンボルマークには、「バラ」の花を採用しており、その関係でシンボルマークを共有する高島屋ハイランドグループの一員でもある。
関連項目
玉屋
佐賀玉屋 - 福岡玉屋 - 小倉玉屋
佐世保初売り
外部リンク
⇒佐世保玉屋