佐々木氏
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家紋 四つ目結

佐々木氏(ささきし)は平安時代に起こり近江を地盤とした武家
目次

1 概略

2 系譜

3 末裔とされる人物

4 出自に関しての議論

5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

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概略

佐々木氏は、近江国を発祥の地とする宇多源氏の一流である。 宇多天皇の玄孫である源成頼が近江国佐々木庄に下向し、その地に土着した孫の経方が佐々木を名乗った事から始まるとされるが、これには異説もあり現在も議論されている(出自に関しての議論参照)。

宇多源氏の中でも佐々木氏は特に近江源氏あるいは佐々木源氏と呼ばれて繁栄し、各地に支族を広げた。

保元元年(1156年)に崇徳上皇後白河天皇が争った保元の乱で、佐々木秀義は天皇方の源義朝に属し勝利するが、平治元年(1159年)の平治の乱でも義朝に属し、敗北により伯母の夫である藤原秀衡を頼って奥州へと落ち延びる途中、相模国の渋谷重国に引き止められ、その庇護を受ける。

治承4年(1180年)に源頼朝伊豆平家打倒の兵を挙げると、秀義の子である佐々木定綱佐々木経高佐々木盛綱佐々木高綱はそれに参じて活躍し、鎌倉幕府の成立後に兄弟は近江を始め17ヶ国の守護へと補せられる。また、頼朝の奥州合戦に従軍した一門の者は奥州に土着し広がっていったとされる。

承久3年(1221年)に後鳥羽上皇と幕府が争った承久の乱が起こると、京に近い近江に在り検非違使山城守に任ぜられていた定綱の嫡子である佐々木広綱を始め一門の大半は上皇方へと属し、鎌倉に在り執権北条義時の娘婿となっていた広綱の弟の佐々木信綱は幕府方へと属した。幕府方の勝利により乱が治まると、敗れた上皇方の広綱は信綱に斬首され信綱が総領となる。

信綱の死後、近江は四人の息子に分けて継がれ、三男の佐々木泰綱が宗家となる佐々木六角氏の祖となり、四男の佐々木氏信が佐々木京極氏の祖となる。


系譜凡例 太字は当主              宇多天皇                ┃              敦実親王                ┃               源雅信                ┃                扶義                ┃                成頼                ┃                義経                ┃             佐々木経方                ┃                季定                ┃                秀義                ┣━━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━━━━┓                定綱   経高   盛綱   高綱      義清  ┏━━━━┳━━━━┳━━━━┫         ┃    ┃    ┏━━┫ 広綱   定重 馬淵廣定  信綱         信実   重綱   政義 泰清    ┏━━━━━┳━━━━━╋━━━━━┓                ┣━━┳━━┓  大原重綱  高島高信  六角泰綱  京極氏信              頼泰 義泰 宗泰


末裔とされる人物

尼子経久

黒田孝高

辻月丹

角倉了以

曲直瀬道三

乃木希典

亀井久興

高柳助八

新発田重家

野村松綱


出自に関しての議論

佐々木氏は一般に宇多源氏とされているが、次のような説も存在しており現在も決着はついていない。
宇多源氏説
従来唱えられてきた説で、史料としては尊卑分脈や佐々木系図(沙沙貴神社蔵)等が挙げられる。

宇多源氏である源成頼が近江佐々木庄に下向し、その孫の源経方が佐々木氏を名乗った事に始まるとされる説である[1]。大津市が刊行した「新修大津市史」等はこの説を採用している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki