人間宣言(にんげんせんげん)は、1946年1月1日に官報により発布された昭和天皇の詔書の通称である。当該詔書の後半部には天皇が現人神(あらひとがみ)であることを自ら否定したと解釈される部分があり、狭義にはその部分を表現する名称としても用いられる。
目次
1 詔書の概要
2 名称
3 当時の状況
4 起草の経緯
5 人間宣言の影響
6 昭和天皇
6.1 詔書草案と五箇条の誓文
7 関係者の見解
8 一般的解釈に対する疑義
9 参考文献
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク
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詔書は天皇が神であることを否定した。しかし、天皇の祖先が日本神話の神であることを否定していない。歴代天皇の神格も否定していない。神話の神や歴代天皇の崇拝のために天皇が行う神聖な儀式を廃止する訳でもなかった。詔書の主目的は、民主主義が日本に元々あった五箇条の誓文に基づいていることを示すためである。
人間宣言についての記述は以下の通りである。
朕ト爾(なんぢ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
人間宣言についてはこの数行のみで、詔書の6分の1しかない。その数行も事実確認をするのみで、特に何かを放棄しているわけではない。[1]
この詔書には公用文としての「題名」は付されておらず、題名に準ずる「件名」は「新年ニ当リ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス国民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ」(官報目録)及び「新年ヲ迎フルニ際シ明治天皇ノ五箇条ノ御誓文ノ御趣旨ニ則リ官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、新日本ノ建設方」(法令全書)と2度にわたり付与されているもののともに冗長で引用に不便なものであるため、一般には、詔書後半部の天皇神格・日本民族優性思想の否定に関する部分に着目した通称として、学術・教育(教科書)・報道等の場でこの「人間宣言」、「天皇人間宣言」、「神格否定宣言」などが用いられ、国立国会図書館においても「人間宣言」の名称で所蔵されている。一方、この詔書の前半部には明治天皇の御誓文(五箇条の御誓文)を引用した部分があり、また、詔書全体の文意としては神格等否定を踏まえつつも終戦後の新日本国家の建設を国民に呼びかけたものでもあるため、特定部分に依拠しない通称として「新日本建設に関する詔書」、「年頭、国運振興ノ詔書」などを用いる例もあり、国立公文書館では片仮名の「新日本建設ニ関スル詔書」の名称で所蔵されている。(註)法令・公用文における「題名」は、固有の名称としての性格を有し、その改題には正式な改正手続を要するため、引用時に片仮名を平仮名に置換するなど引用側が任意に改変することは認められない(旧字体の新字体置換のみ可能である)が、「件名」は、他の公用文において用いる便宜上の名称であって正式な改称手続自体がないため、引用側において字体のみならず片仮名←→平仮名、文語体←→口語体などの置換が許容される。
ポツダム宣言受諾による戦争終結(敗戦)から4か月余、まだ大日本帝国憲法の施行下にあり神聖不可侵の現人神・八紘一宇思想等の影響が残っていた日本にあって、占領統治主体のGHQからの要求による(必ずしも自発的ではなかった)ものながら、天皇が詔(みことのり)においてそれら神格等の否定に明確に言及したことは、当時の国民・社会全般に大きな影響を与え[要出典]、その詔書の当該部分あるいは詔書全体が「人間宣言」と一般に呼称されるようになった。
田中上奏文への信仰と確信を色濃く残したままの連合国軍総司令部 (GHQ/SCAP) と民間情報教育局 (CIE) は天皇の勅語によって、日本が他国・他国民を支配する神聖な使命も持つことを明確に否定し、この観念の根拠となった家系・血統によって天皇は他国の元首に優越し、日本国民は他国民に優越すると主張する国家神道の教義も明確に否定することを企図していた。
詔書は当日発行された新聞各紙の一面記事による活字での「人間宣言」名称から、天皇による超人思想の否定であり、天皇の人間宣言であるとして、検閲可能な占領下での一斉報道で名称固定され、以後はそのまま通用することになった。
GHQの要求を受け、幣原喜重郎首相は前田多門文相に原案を依頼した。以下、木下道雄侍従次長の『側近日誌』を元に再現する。
12月25日以降、幣原自身が前田案をもとに英文で原案を作成し、秘書官に邦訳を命じた。推敲は前田文相、次田書記官長、楢橋法制局長官等で行った。過労の幣原に代わり、前田文相が天皇に会い、天皇から「五箇条の御誓文」付加の要請を受ける。マッカーサーにも案文を示す。
12月29日、木下道雄侍従次長は原案に手を入れて別案を作り、石渡宮相・前田文相に示した。別案は天皇が神の末裔であることを否定するものでなく、「現御神」であることを否定するものであった。
12月30日、木下は石渡が手を入れた木下案を次田に渡し、閣議で検討された。同日午後4時30分、岩倉書記官が閣議案を木下の元に持参した。木下は更に手を入れ、天皇に中間報告を行い、閣議に戻した。5時30分、前田文相が天皇に会い、文案の許可を得た。午後9時、正式書類が整い、完成した。
12月31日、幣原の意を受けて前田文相は木下侍従次長を訪問し、マッカーサーに案文を示した天皇が神の末裔であることを否定する内容の復元を求めた。木下は侍従長とともにこれに同意し、天皇に報告した。天皇も天皇が神の末裔であることを否定する内容への変更の許可を与えた。
しかし、日本語で発表されたものは天皇が神の末裔であることを明確に否定したものではなく、「現御神」(現人神)であることを否定するものであった。これに対し、原案の英文は「the Emperor is divine」を否定するものであった。