人力車(じんりきしゃ)とは、主に明治から大正・昭和初期に移動手段として用いられた、人を輸送するための人力による車。横に並べた2つの輪を持つ車に乗客を乗せ、車夫(しゃふ)がこれを曳く。
略して人力(じんりき)、力車(りきしゃ)。車夫は俥夫とも書き、また車力(しゃりき)とも言った。また英語の Rickshaw(発音=リクショウ)は「リキシャ」を語源とする日本語由来の英単語。
人力車には乗客が一人乗りのものや二人乗りのものなどがあるが、日本で普及したのは一人乗りのものが圧倒的に多かった。また車夫は通常一人だが、特に急ぎの場合などは二人以上で引いたり、時には押したりすることもあった。人力車(トヨタ博物館にて)
目次
1 現代の日本における人力車
1.1 運送手段としての人力車
1.2 人力車の保存
1.3 人力車の製造
2 歴史
2.1 欧米における歴史
2.2 人力車の発明
2.3 日本での普及
2.4 アジア各地への展開
3 アジア各国での人力車
3.1 コルカタの人力車
4 関連項目
5 ウィキメディア・コモンズ
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都市圏では昭和元年頃、地方でも昭和10年頃をピークに減少し、戦後、車両の払底・燃料難という事情から僅かに復活したことがあるが、現在では一般的な交通・運送手段としての人力車は存在していない。
現在は主に観光地での遊覧目的に営業が行われている。当初、京都、鎌倉といった風雅な街並みが残る観光地、又は浅草などの人力車の似合う下町での営業が始まり、次第に伊豆伊東、道後温泉といった温泉町や「無法松の一生」にちなむ門司港、有名観光地である中華街などに広がっていった。観光名所をコースで遊覧し、車夫が観光ガイドとして解説してくれるものが一般的である。舞妓装束の観光客(京都)
北海道では小樽市、東京都内では浅草雷門、埼玉県では川越市、千葉県では成田市、神奈川県では鎌倉市と横浜中華街、静岡県では伊東市と掛川市、松崎町、岐阜県では高山市・郡上八幡、京都府では嵐山・左京区・東山区、奈良県では奈良公園、愛媛県では松山道後温泉、九州地方では福岡県の門司港、大分県の湯布院で利用できる。
現行の道路交通法では人力車は軽車両の扱いとなるが、自転車とはならないため、自転車道および道路標識によって自転車通行可とされた歩道を通行する事は出来ない。
観光人力車の乗車料金は10分程度の移動時間中に観光案内を含めた初乗り運賃が1人当たり1000 - 2000円から15分・30分・60分・貸切などさまざまである。2人乗りのものに3人乗車することも可能であるが、相当な重さになることから、観光人力車では料金を割り増しとするものが多い。
観光人力車では到着した後の観光客への観光案内時間中の駐輪場所の整備、客待ち時における待機場所の整備が遅れている。
観光人力車の他、結婚式やお祭りなどでの演出としての使用や、歌舞伎役者のお練りなどに使用されることがある。
昭和初期までは一般的に存在した庶民的な車両であるため、交通博物館(2006年5月14日に移転の為閉鎖)をはじめ、各地の博物館や資料館などで保存されている。ただし、展示されてる人力車には修復されたものや展示のために新たに製造されたものもある。
観光人力車や博物館展示用の人力車製造が続けられている。製造台数の多いメーカーとしては静岡県伊東市の株式会社升屋製作所を挙げることができる。
歴史Les Deux Carrosses by Claude Gillot, 1707人力車 日本、1886年 シルバープリントに彩色。人力車 日本、1897年
クロード・ジロー (Claude Gillot) が1707年に描いた「Les Deux Carrosses」(直訳:「両方に客がいる」)という滑稽な絵がある。この中に、2台の人力車のような手押し車が描かれている。これらの手押し車は、17世紀から18世紀にかけてパリの街中で使われていた。