京浜工業地帯
■即会いH掲示板■
■18歳以上「入口」■

[Wikipedia|▼Menu]

京浜工業地帯(けいひんこうぎょうちたい)は、大田区川崎市横浜市を中心に、東京都神奈川県埼玉県に広がる工業地帯である。かつては名前の通り、東京から横浜までの東京湾西岸、京浜運河に広がる埋め立て工業地帯であったが、次第に範囲が東海道沿いの藤沢市茅ヶ崎市平塚市や、内陸の八王子市相模原市さいたま市(旧大宮市)にまで拡大していった。四大工業地帯のひとつで、太平洋ベルトの中核であり、日本有数の工業地帯である。

また、東京湾沿岸に千葉県へ伸び、京葉工業地域を形成、さいたまから東北道沿いに北関東工業地域を形成した。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 埋め立て

2.2 東京から横浜へ

2.3 戦災と復興

2.4 郊外への拡散


3 京浜港の役割

4 主な工業都市

5 関連項目

//


概要

中京工業地帯阪神工業地帯北九州工業地帯と比較した場合、事業所数・従業員数・付加価値額で見た規模は1位であった。しかし、1999年、製造品出荷額の規模は中京工業地帯に次いで2位となった。2006年には製造品出荷額で30兆5099億円となり阪神工業地帯(31兆1028億円)に逆転され3位に転落した。(工業統計2007年発表)

東京都・神奈川県事業所数(従業員4人以上の事業所)は2万9579ヶ所、従業者数78万2321人、製造品出荷額は約30兆5099億円、付加価値額は約11兆1063億円。

東京23区・川崎市・横浜市事業所数(従業員4人以上の事業所)は約2万2千ヶ所、従業者数40万8856人、製造品出荷額は約13兆2272億円、付加価値額は約4兆8858億円。

(いずれも工業統計表、2004年 2006年 2007年発表)

巨大な消費市場と原料・製品の輸出入に便利な港湾東京港川崎港横浜港)を有する。鉄鋼・機械・化学などの重化学工業、食品・繊維などの軽工業ともに発達しているが、重化学工業の割合が多く、印刷・出版や雑貨工業の発達が特徴的である。(日本最大の印刷工場が東京にある)また、中小規模の工場が多いことも特徴である。

京浜工業地帯は、阪神工業地帯より遅れて工業地帯となった。しかし、沿岸部のみならず、内陸にまで工業地帯を広げ、機械工業などの都市型工業を立地させ、発展してきた。

臨海部(横浜市川崎市大田区など)では鉄鋼業や化学工業、内陸部(八王子市立川市など)では機械工業が発達している。

最近では工場・倉庫の跡地、埋め立てて使われていない土地などを利用して、お台場お台場海浜公園みなとみらい赤レンガパークなど、観光施設に整備されている地域もある。

また大田区羽田旭町の大田区創業支援施設、大田区南六郷の大田区新産業創造支援施設、大田区蒲田の大田区産学連携施設、横浜市金沢区にある横浜金沢ハイテクセンター、横浜新技術創造館、SOHO横浜インキュベーションセンター、かわさき新産業創造センター、かながわサイエンスパーク等の、イノベーションによる新産業創出や、起業を期待されているインキュベート施設や、横須賀リサーチパークかわさきマイコンシティ等の、ハイテク企業を集積した産業クラスターもある。


歴史

明治30年代から40年代にかけて日本の工業は、繊維製紙食品などの軽工業から、鉄鋼造船機械などの重工業が中心に取って代わり始める。重工業は軽工業とは違い、広大な敷地や多量の資源が必要となり、それを受け入れ、送り出すためのも必要になる。


埋め立て

東京は、明治期に越中島地先、芝田町(現:田町)地先、芝車町(高輪)など、東京臨海部の埋め立てが始まっていった。 芝浦などの隅田川河口部や、荒川河口部なども次次と埋め立てられていき、運河が掘られていった。

横浜・川崎は、明治期、横浜の鶴見区に、京浜工業地帯の生みの親と言われる浅野総一郎らが「鶴見埋立組合」(後の東亜建設工業)を設立し事業を開始した。


登録後3分でアエル!!
最速出会セレブマップ

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:16 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki