九龍城砦
各種表記
簡体字:九?寨城
繁体字:九龍寨城
ピン音:Ji?l?ng Zh?ich?ng
ラテン字:Kowloon Walled City
広東語:gau2 lung4 jaai6 seng4
発音:ガウロンジャアイセン(広東語)、チウロンチャイチョン(普通話)
九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい、きゅうりゅうじょうとりで)は、現在の香港・九龍の九龍城地区につくられた砦、またはその跡地に建てられていた巨大なスラム街を指す。
日本では九龍城砦を「九龍城」(「クーロンじょう」)と呼ぶ場合があるが、これは九龍城砦が存在した一帯の地域名あるいは行政地区名の呼び名である。詳細は九龍を参照。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 近世(960年代―1830年代)
2.2 近代(1840年代―1940年代)
2.3 現代(1950年代―1990年代)
2.4 取り壊し
2.5 現在
3 環境
4 城内地名 (街道)
4.1 南北通路
4.1.1 龍津路
4.1.2 龍津道
4.1.3 東頭村道
4.2 東西通路
4.2.1 龍城路
4.2.2 光明街
4.2.3 老人街
4.2.4 大井街
4.2.5 西城路
5 建築
6 影響
7 類似の場所
8 交通
8.1 MTR(港鐵)
8.2 バス(巴士)
9 脚注
10 関連記事
11 関連リンク
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正式名称は「九龍寨城」といい、これは1994年に当時のイギリス・香港政庁が行った構造物解体時に廃棄物の中から発見された石製の大きな表札から判明した。この時、同時に砦時代の大砲の砲身なども見つかっている。現在では貴重な文化財として九龍寨城公園内の資料館に保管されている。
1898年、イギリスが清朝から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借。九龍城砦は新界地区に所在していたが、例外として租借地から除外され清の飛び地となる。後にイギリスの圧力で清軍・官吏等が排除されてしまい、以後中国大陸が中国国民党率いる中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となる。啓徳空港(1990年代)
1941年から1945年の日本軍による香港占領期間中に、近隣の啓徳空港(旧香港国際空港、1998年に移転のため廃止)拡張工事の材料とするため城壁が取り壊された。1940年代の中国内戦と、1949年の中国共産党率いる中華人民共和国の樹立により、香港政庁の力が及ばないこの場所に中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化する。
1960年代から1970年代には高層RC構造建築に建て替わるものの、無計画な増築による複雑な建築構造と、どの国の主権も及ばずに半ば放置された環境から「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。しかし1984年の中英共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定すると1987年には香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を強制移住させる方針を発表。
1993年から1994年にかけて取り壊し工事が行われ、その後すぐに行われた再開発後に九龍寨城公園 (Kowloon Walled City Park) が造成された。
九龍城砦には非常に多くの複雑な歴史的背景が絡んでおり、中国の近代や現代史にも密接に関係している。
始まりは宋(960年 - 1279年)時代に遡る。かつて香港や九龍半島にはたくさんの香木が生えていたほか、塩を産出しており、これらを輸出するために港が香港島南部の香港仔に開かれた。