久保田 智之
阪神タイガース No.30
基本情報
国籍 日本
出身地埼玉県比企郡吉見町
生年月日1981年1月30日(27歳)
身長
体重181cm
99kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置投手
プロ入り2002年 5巡目
初出場2003年5月11日
年俸1億2,000万円
経歴
埼玉県立滑川総合高等学校
常磐大学(中退)
阪神タイガース(2003 - )
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
久保田 智之(くぼた ともゆき、1981年1月30日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。
目次
1 来歴
1.1 アマチュア時代
1.2 プロ入り後
2 年度別投手成績
3 タイトル・表彰・記録
4 人物
5 関連項目
6 脚注
7 外部リンク
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滑川高校時代は捕手兼投手として活躍。監督に「エースと違う投げ方をするなら試合で使ってやる」と言われ、監督がある日の練習で投げていた投法を真似したことからトルネード投法を身につけた。同じくトルネードで有名な野茂英雄の投法を参考にしたことは一切なかったという。3年時の1998年、甲子園にチーム初となる出場を果たす。背番号2、4番・捕手兼リリーフ投手として出場し、3試合で計6イニングを無失点に抑えたが、3回戦で久保康友を擁する関大一高(北大阪)に敗れた。なお、高校進学時は後に大学でチームメイトとなる小野寺力の母校である鴻巣高校に行きたかったというが、本人曰く「頭が足りなくて」滑川高に入ったとのこと。
卒業後は関甲新学生野球連盟所属の常磐大学に進学。投手に転向して2年次から主戦として活躍するが、地肩の強さに頼った投げ方で連投できなかった[1]。3年次に東海大学との練習試合で153km/hを出し、プロから注目されるようになる。2002年の春には読売ジャイアンツのキャンプに招待選手として参加。大学4年間では小野寺とともに活躍するもリーグ優勝することはできず、全国大会・国際大会には縁がなかった。
2002年のドラフト5巡目で阪神に指名され入団。入団直後の新人合同自主トレに体重超過で臨み、いきなり80万円の罰金を科されるも、「活躍して倍以上にして取り返してやる」と発言し話題となる。
2003年5月11日、プロ初登板。5月24日、東京ヤクルトスワローズ戦では福原忍の持っていた球団最速記録を塗り替える156km/hを記録した。6月1日の巨人戦ではプロ初先発、以降ルーキーながら先発・中継ぎでフル回転した。しかしチームがリーグ優勝を決める直前に故障し、日本シリーズで投げることはできなかった。
2004年、開幕当初は先発として起用されたが打ち込まれた上に再度故障。復帰後は中継ぎで好投していたが、ジェフ・ウィリアムス、安藤優也のアテネオリンピック代表招集やジェロッド・リガンの故障離脱のために空位となっていたクローザーに転向する。
2005年、ウィリアムス・藤川球児とともにJFKと呼ばれるリリーフトリオを形成する活躍を見せるようになる。9月29日の巨人戦で胴上げ投手となった。またこの年、自身の球団最速記録をさらに更新する157km/hを記録した。もっとも、救援投手としてはそれほど安定していたわけではなく、走者を出してはギリギリのところで抑えるという場面が多く見られ、解説者やファンから「劇場型クローザー」と呼ばれることもあった。
2006年、WBC直前に負傷した黒田博樹の代替選手として2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選ばれた。