主権
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主権(しゅけん、: Sovranit?, : souverainet?, :Souver?nit?t, Souver?nit?tsrechte, : sovereignty)は、主として憲法国際法で用いられる概念である。
目次

1 概要

2 歴史的前提

3 基本的意義

3.1 対外主権(最高独立性)

3.2 対内主権(統治権)

3.3 最高決定力(最高決定権)


4 実定法における「主権」

4.1 国際法における「主権」

4.2 日本法における「主権」


5 国家主権の移譲・共有

6 関連項目

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概要

概念の内容については、きわめて不明確であり、論者によってさまざまな意味が盛りこまれるため、統一的な定義を下すことは困難である。しかし、一般的には、国家の最高独立性を表す概念と理解、もともと東西ドイツ分割時代に、互いの主権Souver?nit?tまたはSouver?nit?tsrechteが、真の国家主権ではないというニュアンスでHoheitないしHoheitsrechteの訳語が用いられたのであるから、やはり"高権"と訳すのが正確な翻訳だろう。

日常的な意味は「至上であること」「最高であること」であり、これを軸に法的な概念を理解すると分かりやすい。

なお、一般にはジャン・ボダンの学説に溯る概念だと説かれることが多いが、実際にはボダンの前にもレジスト(ローマ法に通じ中央集権論者たる法律家)によって説かれており、ボダンはそれを理論的に集大成したにすぎないという説もある。


歴史的前提

中世ヨーロッパの秩序においては、俗界の皇帝諸侯は、多かれ少なかれ、ローマ・カトリック教会の権威に従属していた。また、俗界の支配関係は、土地を媒介として重層的に支配服従関係が織り成される封建制により規律されていた。例えば、神聖ローマ帝国においては、領邦君主は帝国等族として皇帝に従属し、領邦においては、領邦等族が領邦君主に従属していた。

しかし、このような中世的秩序は、次のような過程を経て、徐々に崩壊していくことになる:

マルティン・ルター等の宗教改革により、ローマ・カトリック教会の宗教的・政治的権威が揺らいだ。

宗派間対立の妥協として、アウグスブルクの宗教和議により「ある者に領土の属する場合には、その者に宗教もまた属する(cuius regio, eius religio)」という領邦教会制が生まれた。この結果、領邦君主が領邦の宗教をルター派とすることにより、カトリック教会の支配から独立することが可能となった。

宗教戦争である三十年戦争が勃発した。その講和条約として、ヴェストファーレン条約が締結された結果、ヴェストファーレン体制という勢力均衡の国際的な枠組が生まれ、国際法上国家は平等であるという原則が形成された。

ナポレオンの侵攻が原因で、神聖ローマ帝国において次のことが起こった。

世俗化(S?klarisation)により、聖界諸侯の領邦は廃止された。

陪臣化(Mediatisierung)により、すべての聖界諸侯と多くの俗界諸侯が、皇帝ではなく領邦君主からレーン権(Lehnsrecht)を封じられることになった。つまり、帝国直属の等族(reichsunmittelbare St?nde)ではなくなった。結果として、残存した領邦は大規模化した。

皇帝の廃位によって、神聖ローマ帝国は消滅した。この結果、領邦国家は、法的には他者に従属しない存在となった。

このような過程を経て生み出された近代国家を形容する語が「主権」である。


基本的意義


対外主権(最高独立性)

まず、「国家が外に対して独立している」ということが、「主権」の内容として語られることがある。国家は互いに平等であり、その上に存在する権威はないため、「最高独立性」といわれることもある。近代国家である以上、対外的に独立していなければならず、逆に、対外的に独立していない場合は、それは国家ではない(国際法上の国家の要件が欠缺している)ということになる。


対内主権(統治権)

次に、「国家が内に対して最高至上である」ということが、「主権」の内容として語られることがある。近代国家においては、国家は、自らの領土において、いかなる反対の意思を表示する個人・団体に対しても、最終的には、物理的実力(physische Gewalt)を用いて、自己の意思を貫徹することができる。この意味で、国家は対内的に至高の存在であり、これを「主権的」と表現するのである。この意味で用いる場合には、「主権」という語は、領土に対する統治権という意味とほぼ同じ意味内容を持つ。


最高決定力(最高決定権)

第三に、「ある国家のうちで、実際に至高の存在は誰なのか? 即ち、実際に最終的に決定する力を持っているのは誰なのか?」というの問題も、「主権」の問題として語られることがある。この問題について、日本では、ドイツ流の議論とフランス流の議論の両方が混在している。

まず、ドイツ流の議論では、君主主権説と人民主権(Volkssouver?nit?t)説が対立し、その折衷説として国家主権説が唱えられることになる。この論争は、日本に輸入されて、いわゆる天皇機関説論争となった。天皇機関説は、国家主権説の系であり、天皇機関説論争は、要するところ、君主主権説と国家主権説の論争である。

次に、フランス流の議論では、フランス革命によって君主(ブルボン家ルイ16世 (フランス王))がギロチンで処刑されたために、君主主権説の前提が存在しなくなったので、ドイツ流の三者間の対立とは異なり、ナシオン主権(souverainet? nationale)論とプープル主権(souverainet? du peuple)論の二者の対立となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen