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武家奉公人(ぶけほうこうにん)とは、文字通り、武家に奉公する者を言う。
目次

1 概要

2 関連リンク

3 関連人物

4 外部リンク

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概要

武家奉公人は若党、中間、小者などの呼称があるが、地域、藩、各武家によっても意味合いに差があり、厳密な区別はできるものではない。したがって下記にある若党、中間、小物に分けた解説はあくまで参考程度の内容である。

武家奉公人は平民身分であり、一代限りのお抱え、もしくは年季奉公の者が多かった。戦国期から江戸時代のごく初期までは、若党、中間、小者等は足軽との区別が厳密でなく、戦闘にも参加し、実質譜代で仕えることもあった。

江戸期になると、年季契約や、必要な時のみ口入れ屋から雇い入れるということがしばしば行われた。多くは百姓の次男以下などが奉公したが、江戸など大都市では渡り中間のような屋敷を渡り歩く専門の奉公人を雇うことも多かった。

幕末になって江戸幕府及び諸藩は、火縄銃装備の「鉄砲組」を廃止し、洋式銃装備の「歩兵隊」や「銃隊」を作る必要に迫られたが、従来の足軽身分のものだけでは不十分なケースが多々見られ、こうした場合、新たに人員を募集し戦国時代の足軽隊に似た歩兵部隊を創設することがあった。これらの身分は足軽より下の中間(ちゅうげん)小者待遇とされた。

武家奉公人は明治維新以降も、長州藩の山縣有朋伊藤博文などの特殊な事例を除いては、平民に編入された。
若党
わかとう、戦国期には、郎党の中の新しい者、若い者を指すことがあった。また江戸期でも大身旗本に使えている人物を指す場合に若党の呼称を用いることがあり、武士身分である場合があった。しかし、一般的に言う若党は、中間、小者と厳密な区別は不可能で、平民身分であった。
中間
ちゅうげん、脇差1つを挿し、時には戦いにも参加し、平時は雑用を行った。大名行列等では奴(やっこ)の役を務めた。平民身分。譜代で藩に組み込まれている場合もあったが藩士とはみなされなかった。藩士とは書いて字のごとく、士分を有するものの事を指す。渡り中間に代表されるように、一時限りの奉公の場合が多い。
小者
こもの、私的武家奉公人。住み込みで主に雑用を行った。小人、下男とも言う。町方同心が捕物で使ったものを小者と呼ぶことがあった。平民身分。


関連リンク

身分統制令

士農工商


関連人物

伊藤博文

山縣有朋


外部リンク

捕物帳に頻出する用語
カテゴリ: 平安時代 | 鎌倉時代 | 南北朝時代 (日本) | 室町時代 | 戦国時代 (日本) | 安土桃山時代 | 江戸時代

更新日時:2008年7月8日(火)21:08
取得日時:2008/07/21 17:23


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