用途及び属性
縦横比2:3
制定日1928年10月8日
使用色:
赤
青
白
陸軍旗。縦横比2:3 民間用海上旗。縦横比2:3中華民国の国章
中華民国の国旗(ちゅうかみんこくのこっき)は、青天白日滿地紅旗(せいてんはくじつまんちこうき、?音: q?ngti?n-b?ir?-m?nd?h?ngq?、日本の漢字では「青天白日満地紅旗」)と呼ばれる旗であり、中華民国の国章は、国旗の左上に描かれている青天白日の紋章である。現在のこの国旗と国章は、1928年に?介石が中華民国・南京国民政府(今日の中華民国政府の前身)を成立させた際に初めて正式に採用された。なお、青天白日の紋章は、制定当初から中国国民党の党章も兼ねている。
青天白日滿地紅旗は青・赤・白の3色で構成されているが、これは孫文の三民主義思想(民族の独立、民権の伸長、民生の安定)に由来しており、青は民権主義と同時に自由を、赤は民族主義と同時に革命に身をささげた人々の血と友愛を、白は民生主義と同時に平等をそれぞれ象徴している。また同時に、青天白日の紋章は、青は空を、12本の光芒からなる白日(白い太陽)は1年の12か月と干支の12支、12宮、12刻を表わし、中華民国の絶え間ない進歩を象徴している。
青天白日滿地紅旗は「三民主義」を体現しており、更に青天白日の紋章は国民党の党章から作られている。青天白日滿地紅旗と青天白日の紋章の関連は、中国国民党の前身中華革命党が中華民国を立ち上げたため、党ありきの国家(党国体制)という特殊的な事情がある。実際のところ、中華民国は1928年から1989年まで一党独大の体制が維持されてきた。1989年の政党結社の自由化以降、中華民国の政治体制は徐々に民主化されていき、1996年中華民国総統選挙より台湾(中華民国政府の実効統治地域)の住民による中華民国総統(国家元首)の直接選出が始まり、2000年中華民国総統選挙では中国国民党が野党に転落した。しかし、青天白日滿地紅旗は民主化・政権交代を経た後も、中華民国の国旗であり続けている。
目次
1 歴史
1.1 青天白日旗
1.2 五色旗
1.3 青天白日滿地紅旗
2 中華人民共和国の成立と国際的な扱いの変遷
2.1 国際スポーツにおける扱い
3 台湾独立派
4 関連項目
5 外部リンク
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青天白日旗青天白日旗
青天白日滿地紅旗は、青天白日旗を基としてデザインされたものである。当初、青天白日旗は中国国民党の前身である中国革命同盟会の旗として、陸皓東が1893年にデザインしたものである。だが、1906年に孫文が青天白日旗を中華民国の国旗として併用しようとした際に、黄興が青天白日旗と日本の日章旗が類似していることと、青天白日旗の色彩が質素で単調である事を指摘した為、張永福の妻が構想していた国旗の原案の一つを参考に、孫文が赤地を加えて青天白日滿地紅旗を完成させた。なお、青天白日旗はその後、1919年成立の中国国民党党旗に制定された。また、孫文が参考にした国旗の原案は、1925年に最初の国民政府が成立した際に国民革命軍の軍旗として採用され、1948年以降は中華民国陸軍の軍旗として使用されている。
1912年の中華民国建国後、臨時大総統(国家元首)に就任した孫文は青天白日滿地紅旗を国旗として採用しようとしたが、臨時参議院(議会)との協議の結果、かつて清朝の海軍で使用されていた旗を基とした五色旗を国旗とし、青天白日滿地紅旗を中華民国の海軍軍旗として使用することとなった(青天白日滿地紅旗は1913年から使用開始)。当初、五色旗は中華民国の国旗として各界から認知されていたが、袁世凱が政府から孫文も含めた革命勢力を追放して権力を掌握する(北京政府)と、袁世凱の施政に反発する人々を中心として五色旗に対する反発が強まっていった。
五色旗は、赤=漢族、黄=満州族、青=モンゴル族、白=ウイグル族、黒=チベット族の五族共和を意味するとされた(色と民族の対応は異説あり)。なお、旗が清朝に由来することから、後に満州国の国旗に応用された。
一方、北京政府から追放された孫文をはじめとする革命勢力は、北京政府に対抗すべく1919年に広東で中国国民党を結成し、その際に青天白日の紋章を党章とした。