中立(ちゅうりつ)とは、対立が存在する際に、そのどちらにも与しない第三者の立場のことである。国際関係における国際法上・国際政治上の概念として用いられる。
目次
1 国際法上の中立
2 中立の変遷
3 国際政治上の中立
4 中立条約
5 関連項目
6 その他の中立
7 出典
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国際法上の中立には、永世中立と戦時中立、一般的中立と部分的中立、任意的中立と協定中立、好意的中立と厳正中立などの区別がある。通常それは戦時中立を意味するが、戦時中立とは戦争が発生した場合それに加わらず、交戦国双方に対して公平な態度をとる国家の法的地位のことである。それはその戦争と無関係な立場にある国の地位ではなく、交戦国との間に一定の権利・義務をもつ国の地位である。中立国は、その領土・領海・領空について交戦国による一切の侵犯から免れる。他方、それは交戦国双方に対して厳正に公平である義務を負う。それは、交戦国に軍隊、船舶、武器、弾薬、資金その他直接、間接に戦争に使われうる物資を提供したり、その領内を軍事基地や軍事的移動経路として使わせたりしてはならない。中立国の権利・義務のうち、複雑なのは、中立国と交戦国との通商に関するものである。例えば、中立国は自国民が交戦国と通商することを妨げる義務はないが、それに対する、交戦国による一定の干渉(海上封鎖、船舶の停止と捜査、戦時禁制品の没収等)を黙認しなければならない。
国際法上の中立は、国家主権の絶対性が信じられた時代のヨーロッパ国家体系の産物である。それ以前、即ち他国がすべて潜在的な敵であった古代にも、キリスト教倫理が国家判断より重視された中世にも、中立の概念は発達しなかった。ただ、中世末期には地中海商人層の間に一種の海法(コンソラート・デル・マーレ)が生まれ、その中で中立商業についても規定がなされている。16世紀以降、世界貿易の発達につれて中立の概念もしだいに明確化された。特に18世紀末から19世紀にかけて、例えば1793年にアメリカが中立宣言を発し中立の権利・義務を明示したこと、ロシア帝国(旧)が2度にわたり北方諸国を結集して武装中立を宣言したこと、ナポレオン戦争の際に英仏両国が相互に封鎖を宣言して第三国の通商を害したことなどが、中立の理念の発達に刺激を与えた(英国の海上封鎖、フランスの大陸封鎖令)。永世中立については、1815年のウィーン会議がスイスのそれを定めたほか、19世紀内にベルギー(1893年)、ルクセンブルク(1867年)の中立を規定した国際条約が締結された。戦時中立に関する国際的規定はクリミア戦争後の1856年のパリ宣言、1907年のハーグ平和会議、1909年のロンドン宣言等により完成された。
しかし20世紀初頭を過ぎると、国際社会の統合と国家主権の相対化が進み、中立の維持は急速に困難になった。第一次世界大戦後に国際連盟が結成され、戦争に訴えない義務、違反国に対する制裁に参加する義務が加盟国に課せられるとともに、加盟国の立場と中立の地位が矛盾する可能性が生まれた。1928年のパリ不戦条約も同様の矛盾をさらに強めた。第二次世界大戦に際しては、アメリカが中立を宣言しながら、しだいに連合国側に傾斜してついには参戦したこと、独が中立国ベルギー領を侵犯して対仏攻撃を行ったことは、第一次世界大戦のときと同じであったが、中立は以前よりもさらに無視されやすくなった.。1945年8月にソビエト連邦による日ソ中立条約の破棄もその典型である(中立条約参照のこと)。
第二次世界大戦後、侵略者に対する加盟国の軍事行動を定めた国際連合憲章が制定され、国際法的な中立の矛盾は拡大した。さらに、国際社会がヨーロッパ国家体系とは質的に違った地球大のものになり、軍事的・政治的・経済的な相互依存の関係も飛躍的に強まった。大国を巻き込まない地域的戦争も多発しているが、それは主として第三世界で発生し、多くがゲリラ戦的様相を伴うため、伝統的中立の理念は通用しにくくなった。他方、大国を二分した東西対決がもし戦争に至れば、それは核戦争となることが予想され、第三国が戦争を避けて存在しうる余地は少ない。1955年にはオーストリアの憲法規程による中立宣言が国際的な承認を得たが、国際法的な中立の可能性は低下し、それに代わって国際政治的な中立が大きく浮かび上がってきた。