中国(ちゅうごく、?音: Zh?nggu?)は、主に漢民族や華夏族が居住した地域のこと。中原(ちゅうげん)は中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のことであり、中原漢民族が居住していたことからこの名称が用いられるようになった。
日本で使用され始めたのは、中国政府(中華民国政府)の要求で外交文章として登場した1930年からである。ただし、日本で一般的に使用されたのは戦後(第二次世界大戦後)のことである。それ以前は支那(更に古くは唐土)とも呼称していた。現在中国では地理的に、アジア大陸の東部に広がる地域、亜大陸とそれに付随する島嶼を指して使用している。また中国ではその地域に紀元前から継続する文明の総体を指して使用している。この地域は様々な民族が入り混じっており、現在中国の中心となっている漢民族をはじめとして、一時全土を支配していたモンゴルなど、様々な民族による異なる王朝が出現、滅亡、戦乱を繰り返してきた。戦後、一時合作していた中国共産党と中国国民党が再び全面戦争を行った。この戦いに勝利し、大陸部を実質的に支配した中華人民共和国と、敗北し日本が領有権を放棄した後に実効支配した台湾に後退して大陸支配の正当性を訴える中華民国という二つの国家に分かれた。この分断は現在に至り、両岸問題という形でいまだ政治的な問題として存続している。中國、中国
目次
1 名称
1.1 「中国」
1.2 「中華」
1.3 「セーレス」
1.4 「秦」に由来する呼称
1.5 「漢」に由来する呼称
1.6 「拓跋」に由来する呼称
1.7 「唐」に由来する呼称
1.8 「契丹」に由来する呼称
2 歴史
3 政治
4 地理
5 民族
6 文化
7 関連項目
8 脚注
9 外部リンク
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中国は「国の中心」、または中華思想に基づき「世界の中心」を意味し、少なくとも『史記』や『文選』などには、「中原(ちゅうげん)」の意味に使用されていた。このように本来は特定の民族、国家を指す語ではないが、中心地域に中原漢民族が居住していたことからこの名称が用いられてきた。辛亥革命以前は「国家」という概念が無く、『「天下」あって「国家」無し』という状態だったため王朝の名前が使われたようであるが、辛亥革命後に近代的な国民国家形成を目指し1912年に中華民国が成立してから後は、中華人民共和国・中華民国のそれぞれの国号の略称にもなった。
本来「華」は「夷」「戎」「蛮」「狄」「倭」などの周辺民族に対して、優れた文化を持った者を意味し、黄河の流域に都市国家を築いて漢民族を形成していった人々によって自称として用いられた。ここから、「中心の国に住む優れた文化」という意味の「中華」や、その持ち主という意味の「華人」という呼称が生まれ、中華人民共和国・中華民国の国号や「華僑」「中華思想」という言葉はこれに由来している。
古代ギリシアでは中国の商人はセール(σηρ)(複数形:セーレス(σηρεσ))と呼ばれた[1]。 しかし、やがて後述する「チーナ」に由来する「スィーン」が伝わるとその系統の呼称に取って代わられた。
漢字圏以外からは、古くは秦に由来すると考えられるチーナ、シーナという呼称が一般的に用いられ、古代インドではチーナスタンとも呼んだ。これが仏典において漢訳され、「支那」「震旦」などの漢字をあてられる。この系統の呼称はインドを通じて中東に伝わってアラビア語などの中東の言語ではスィーン (S?n) となり、ヨーロッパではギリシャ語・ラテン語ではシナエ (Sinae) に変化する。また、更に後にはインドの言葉から直接ヨーロッパの言葉に取り入れられ、China(英語)、Chine(フランス語)などの呼称に変化した。
日本でも「秦」に由来して、江戸時代初期より支那の呼称も使用されていた。詳細は、支那#言葉の由来と歴史を参照。
最初の統一王朝ながら短命に終わった秦王朝に代わって400年間に渡って中国を支配した漢王朝(前漢と後漢)の時代に、漢民族を中心とする中国の版図は定着していった。そのため、「漢民族」や「漢字」のような言葉に漢の字が使われている。
7世紀末から8世紀初頭の突厥(第二突厥帝国)の人々が残した古テュルク文字の碑文において中国の人々を指して使われている呼称に「タブガチュ(タブガチ、Tabgach、Tabγa?)」があり、北中国に北魏を建てた鮮卑の拓跋部、拓跋氏に由来すると考えられている(白鳥庫吉やポール・ペリオらの説。