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中国映画(ちゅうごくえいが)とは、主に中華人民共和国の資本と人材により制作された映画のこと。香港映画及び台湾映画とは一線を画す。Category:中国映画も参照されたい。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 初期: 上海を中心として
2.2 第二の黄金期: 1940年代後半、国民党の時代
3 文化大革命とその余波
4 第5世代の台頭
5 第6世代とその後
6 新しいドキュメンタリー
7 国際的な中国映画
8 関連項目
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中国語の映画は、それぞれ独自に発展した中国映画、香港映画、台湾映画に分類することができる。 1949年以降最近まで、中国大陸の映画は中国共産党により幾分の制約を受けながら成長してきたが、特定の政治的な映画は検閲を受けたり、中国国内での上映を禁止されたりした。 しかし、これらの多くの映画は、海外では商業的に流通されたり映画祭で上映されている。 以来10年近く、映画制作会社は主に外資系であり、中国の映画制作会社は1916年まで本格的に活動していなかった。
映画は1896年に中国へ持ち込まれた。 中国で最初となった映画は、1896年8月11日上海で上映されたバラエティ映画"act"だった。 最初の中国の映画作品は、1905年11月に制作された京劇の演目『定軍山』を記録したドキュメンタリー作品であった。
1920年代には、上海でアメリカ合衆国の映画技術者により中国の映画技術者が育成され、これにより今後20年に渡ってアメリカの影響が見受けられる。 真の意味で重要なものとなる最初の中国映画は、1930年代に入っての『春蚕』(程歩高監督、1933年)、『大いなる路』(『大路』孫瑜監督、1935年)、『女神』(『神女』呉永剛監督、1934年)などに代表される「革新的」あるいは「左翼的」な映画である。 この時期は、中国共産党と中国国民党が大手映画スタジオの支配を通じて勢力争いを繰り広げており、その影響は制作された映画の中に見ることができる。 1930年以降は、中国映画のはじめの「黄金期」と呼ばれる優秀な(主に左派)ディレクターが活躍した時期である。 1930年代初期から中期にかけて、聯華影業公司( ⇒en:Lianhua Film Company)と、より歴史が古く大きい明星影片公司( ⇒en:Mingxing Film Company)の2つの映画会社が市場を支配した。 この時期には、蝴蝶 (Hu Die), 阮玲玉 ( ⇒en:Ruan Lingyu), 周? ( ⇒en:Zhou Xuan), Jin Yanなどの大物映画俳優を輩出した時期でもある。 同時期の映画作品としては、『漁光曲』(1934年)、『十字路』(『十字街頭』1937年)、『街角の天使』(『馬路天使』1937年)などが挙げられる。
日中戦争による日本の中国進出、特に上海の占領によって、この中国映画の黄金期は終焉を迎えた。 新華影業公司( ⇒en:Xinhua Film Company)を除く映画会社は閉鎖され、多くの映画制作者は上海から国民党が支配していた香港やその他の地域へと去っていったのである。
1945年以降、中国の映画産業界は発展を続けた。 大手映画会社であった聯華影業公司は、第二次世界大戦後、上海で再度設立され左派監督の拠点となった。 その多くは、蒋介石率いる国民党の弾圧的な方針に対する幻滅を示している。 『家々の灯』(『万家灯火』、1948年)、『カラスと雀』(『烏鴉与麻雀』1949年)、『三毛流浪記』(1949年)、特に重要なものとして『春の河、東へ流る』(『一江春水向東流』1947年)などが、この時期に制作された主な古典的名作として挙げられる。 『春の河、東へ流る』は3時間を越える大作で、日中戦争に立ち向かう一般の中国国民の戦いを描いている。 上海の文華影業公司は、聯華影業公司と並ぶ左派の映画会社のひとつで、この時代の傑作とされる作品をいくつか制作している。 その中でも費穆 ⇒en:Fei Muが監督した『田舎町の春』(『小城之春』1948年 )は、中国の映画批評家達によって、中国映画史の中でもっとも影響を与えた作品のひとつと考えられている。
1949年、共産党が支配権を確立すると、政府は映画を重要な大衆向け芸術作品であるとともにプロパガンダとして見なすようになる。