衆議院議員 中井 洽
生年月日1942年6月10日(66歳)
出生地満州国吉林省新京市
(現・中国吉林省長春市)
出身校慶應義塾大学
学位・資格経済学士
前職衆議院議員秘書
所属委員会
内閣役職国家基本政策委員会筆頭理事
拉致問題等特別委員会委員
世襲2世
父・中井徳次郎(元衆議院議員)
選出選挙区比例東海ブロック(三重県第1区)
当選回数10回
所属党派民主党(小沢グループ・川端グループ)
党役職党常任幹事会議長
三重県総支部連合会顧問
会館部屋番号衆・第1議員会館533号室
⇒中井洽 WebSite
中井 洽(なかい ひろし、男性、1942年6月10日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)。元法務大臣(羽田内閣)。現在は民主党常任幹事会議長。
満州国吉林省新京市(現・中国吉林省長春市)生まれ。東京都立立川高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。本籍・現住所は三重県伊賀市。1996年の衆院選から、自由民主党の川崎二郎と三重1区の議席を争っている。
目次
1 経歴
2 主な所属議員連盟
3 不祥事
3.1 光熱水費の違法支出問題
4 エピソード
5 関連項目
6 外部リンク
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経歴
1963年 - 父で社会党議員だった中井徳次郎の秘書を務めた。
1972年4月 - 父と共に日本社会党を離党。衆議院議員選挙に無所属で出馬(落選)。
1975年6月 - 民社党に入党。
1976年12月 - 衆議院議員に初当選。34歳。
1986年7月 - 衆議院選挙に落選(次点)。
1990年2月 - 衆議院議員に当選(5期)。
1993年7月 - 衆議院議員に当選(6期)。
1993年8月 - 衆議院商工委員長に就任。
1994年5月 - 法務大臣に就任(羽田内閣)。
1994年12月 - 民社党が解党し、新進党が結成されるにつき新進党へ移る。
1996年10月 - 衆議院選挙に小選挙区で当選(7期)。
1997年12月 - 新進党解党、自由党へ移る。
2000年1月 - 衆議院国会党の移転に関する特別委員長に就任。
2000年6月 - 衆議院選挙に小選挙区で落選、比例区で当選(8期)。
2002年10月 - 自由党副代表に就任。
2003年9月 - 自由党が民主党に合流するのに伴い、民主党へ。
2003年11月 - 衆議院選挙に小選挙区で落選、比例区で当選(9期)。
2003年12月 - 民主党副代表に就任。
2005年7月 - 衆議院より永年在職議員表彰(25年)。
2005年9月 - 衆議院選挙に小選挙区で落選、比例区で当選(10期)。
2006年9月 - 民主党常任幹事会議長に就任。
2007年8月 党常任幹事会議長に再任される。
主な所属議員連盟
日韓議員連盟
日華議員連盟
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
米消費拡大・純米酒推進議員連盟
2007年3月、光熱水費(「電気、ガス、水の使用料」と規定)がかからない議員会館に置いた、資金管理団体の主たる事務所で3年間に計約1070万円の光熱水費を架空支出したことが発覚した。国会では松岡利勝農林水産大臣(当時)の、議員会館での光熱水費問題が国会で追及されている真っ最中で、当初は党内や野党から松岡大臣を追求できなくなると不満の声も挙がった。本来、事務所費の項目は総務省のガイドラインに従うべき所、中井サイドの弁明では議員連盟の対策費に使った等、巧妙な言い訳に終始した。不明朗なままでは一時的に議員辞職や党籍離脱はさけられなかったと思われる。別の支出であったことを認める記者会見を本人が開いたことにより、すぐにこの騒動は収まった。
2005年の郵政民営化特別委員会で、中井は民主党の筆頭理事を務めていた。野党は強硬な反対姿勢を見せていたが、審議時間が100時間を超えたあたりで、中井は突然採決に応じると表明し、他の野党はもちろん与党側まで唖然とさせた。
自民党の馳浩によると、郵政民営化特別委員会の二階俊博委員長は、新進党・自由党で中井と親しい関係にあった。かつて中井は二階に大きな借りを作ったことがあったが、二階はそれを恩着せがましく誇ることはなく、中井も二階を党派を超えて尊敬していたという。つまり、中井は二階と談合して、自党の顔を立てるために予定の時間までは審議を引き延ばしたが、採決そのものには協力したのである(「 ⇒『馳 浩の永田町通信』2006年12月号 「二階マジック」」。