世界征服(せかいせいふく)とは国家あるいは団体が主に軍事力を背景に世界にある他の全ての国家を打倒して解体・併合を行う事で、世界及びそこに居住する全ての人類を自己の支配下に置くことをさす。実現は困難である。
目次
1 世界征服とは
2 歴史上の帝国
3 日本における世界征服の思想
4 宗教と世界征服
4.1 イスラーム
5 フィクション
6 脚注
7 関連項目
8 参考文献
9 外部リンク
//
現実世界において「征服」とは、国家による武力による他の国家の占領・併合・消滅の過程を指す。歴史的には後述のように世界征服の可能性を有した国家も存在したが、近代以後の国家主権の確立によって、国家が行うかかる行為は侵略戦争として規定されるようになった。今日では国際法によって違法とされている行為である。
かつて世界征服とまではいかないまでも、広大な帝国を作り上げた例は存在する。
マケドニア王国
ローマ帝国
イスラム帝国
モンゴル帝国
大英帝国
また経済システムの拡大により新たな価値観が拡大した例としては
産業革命による資本主義の拡大
社会主義による世界革命の思想
グローバル資本主義の拡大
などが上げられる。
日本は19世紀の末から東アジアの覇権国の地位を目指し、大陸への侵出を進めてきたが、1930年代に入ると日本が世界征服をするべきという思想が一部の軍人や思想家の間で現れた。
関東軍参謀の石原莞爾は、日本は東洋の文明の中心となり、欧米の文明の中心となるアメリカと最終戦争を行うことになるとし、そのための準備の必要性があるとする「世界最終戦論」を有していた。石原はこのイデオロギーに基づいて柳条湖事件を起こし、これを中国軍のしわざとして軍事行動を開始し、満州事変へと発展した。石原は後に『最終戦争論・戦争史大観』のなかで、人類が心から現人神(あらひとがみ)の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。 最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。
とその世界征服の思想の詳細を明らかにしている。
米国ではこのような日本の軍事行動を「世界征服の野望」 [1]として把握する者もあり、日本もそのような米国内の論調を把握していた。
金鶏学院を設立(1926年)し、平成の元号を案出したとされる安岡正篤(1898〜1983)は「日本には天照大神の信仰がある。天照大神とは日本精神を以て世界を光被しようという理想である。」、イザナギ・イザナミの「「いざな」というのはいざなう、換言すれば世界民族の先覚者、先駆者、誘導者となって行こうという理想である。」と述べている[2]。
このような思想に基づき、日本は1930年代の後半から東アジアと太平洋の覇権奪取を目指し、中国や南洋に侵攻した。これらの行動により被侵略地域からの軍事的抵抗はもちろん、日本を国際秩序の紊乱者とみなす米英との戦端を開くことになった。
しかし最終的に日本はアジア太平洋戦争(大東亜戦争)に敗北し、皇国の大元帥たる昭和天皇はGHQによっていわゆる人間宣言を出させられた。そのなかで天皇は「「朕ト爾(なんぢ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ひいて)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」とし、天皇による世界の支配を否定した。
坂口安吾は「国民儀礼と八紘一宇が世界を征服するなんて、そんな茶番が実現されては、人間そのものが助からない。私の中の人間が、八紘一宇や国民儀礼の蒙昧、狂信、無礼に対して、憤るのは自然であったろう。」(「野坂中尉と中西伍長」1950年3月「文藝春秋」)と述べている。
預言者ムハンマドの時代から正統カリフを経て、ウマイヤ朝・アッバース朝にいたるまでの初期イスラーム政権においては、ジハードの名の下に非イスラーム世界を侵略し、征服することが宗教的義務として位置づけられており、最終的には全世界を征服してダール・アル=イスラームに包括し、異教徒をイスラームの支配下に屈服されなければならないとされていた。