不平等条約
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不平等条約(ふびょうどうじょうやく、Unequal treaty)とは、条約の性質に基づいてなされた分類の一種で、ある国家が他の国家に、自国民などに対する権力作用を認めない条約。
目次

1 概要

2 近代東アジアにおける主要な不平等条約

2.1 近代中国における主要な不平等条約

2.2 近代朝鮮における主要な不平等条約

2.3 近代日本における主要な不平等条約

2.4 近代越南における主要な不平等条約


3 関連項目

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概要

憲法及び法典(民法商法刑法など)を定めている国の者が、それらの定められていないあるいは整備の進んでいない国において、それらを定めていないことによって被るであろう不当な権力の行使を避けるために結ばれることが多い。

具体的には「関税自主権を行使させない」ことや「治外法権などを認めさせる」ことで、ある国の企業や人が、憲法及び法典のない国に商品を輸入したりする際に莫大な税金を要求されたり、軽犯罪によって死刑を被ったりすることを避けることを目的としたものである。一方で、不平等条約上、有利な側にある国の国民が、不利な側にある国で犯罪を犯した際に、その国の裁判所にて裁くことができない状態となるため、治安問題が増大するという問題や、関税率の操作で貿易において不当に利益をあげ得る、などの問題がある。

19世紀から20世紀初頭にかけて、帝国主義列強はアジア諸国に対して、条約港の割譲や在留外国人の治外法権承認、領土の割譲や租借など不平等な内容の条約を押し付けた。そのなかには、片務的最恵国待遇もあった。

元来は、オスマン帝国が恩恵的にフランスオランダイギリスに対して与えていたカピチュレーションの制度において、治外法権その他を認めていたものだが、産業革命以後は西欧経済圏への従属を企図したものに変質していった。

日本も封建制度の体制下で欧米の近代法にある法治国家の諸原則が存在しておらず、刑事面では拷問や残虐な刑罰が存置され、民事面では自由な契約や取引関係を規制して十分な保護を与えていなかったために、欧米列強からはその対象国であると考えられていた。
江戸幕府日米和親条約日米修好通商条約で長崎、下田、箱館、横浜などの開港や在留外国人の治外法権を認めるなどの不平等条約を結ばされ、明治初期には条約改正が外交課題となっていた。一方で明治時代に入ると、朝鮮中国に対して日朝修好条規下関条約など不平等条約を押し付けていった。

また中国(清朝)でも阿片戦争での敗北後、長期にわたって列強とさまざまな不平等条約を締結し、経済的な植民地に転落していった。


近代東アジアにおける主要な不平等条約


近代中国における主要な不平等条約

南京条約 1842年8月29日  英国

虎門寨追加条約 1843年10月8日  英国

望厦条約 1844年7月3日   米国

中露イリ通商協定 1851年8月6日  ロシア帝国

上海英仏米租界租地章程 1854年7月5日 英国、フランス、米国

アイグン条約 1858年5月28日 ロシア帝国

天津条約

中露天津条約 1858年6月13日

中米天津条約 1858年6月18日

中英天津条約 1858年6月26日

中仏天津条約 1858年6月27日


北京条約

中英北京条約 1860年10月24日

中仏北京条約 1860年10月25日

中露北京条約 1860年11月14日


中独通商条約 1861年9月2日 在天津

下関条約 1895年4月17日 日本 在下関

中独膠州湾租界条約 1898年3月6日 在北京

中露旅順大連租界条約 1898年3月27日 在北京

威海衛租借協定 1898年7月1日 英国、在北京


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen