下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東山道に位置する。延喜式での格は上国、遠国。野州(やしゅう)と略されることがある。現在の関東地方の北部中央、北関東の中央に位置する。
領域は現在の栃木県とほぼ同じだが、加えて群馬県桐生市のうち桐生川以東を含む。かつては栃木県は下野国と同じ範囲だったが、1959年と1968年に栃木県の一部が桐生市に越境合併されたため、異なるようになった。
目次
1 沿革
2 国分寺・国分尼寺・一宮・総社など
3 国司
3.1 下野守
3.2 下野介
4 守護
4.1 鎌倉幕府
4.2 室町幕府
5 郡
6 人口
7 関連事項
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古代の毛野国(けぬのくに)の分割によって、現在の栃木県西南部にいたる下毛野国(しもつけぬのくに)として成立した。国造は下毛野君である。7世紀に北東部の那須国をあわせ、現在までの領域が確定した。
713年に施行された諸国郡郷名著好字令によって、全国の国名が漢字2文字に統一された。
その際、下毛野国から「野」をとって下毛国にしようとしたが、下毛の国では印象が悪いため、「毛」をとって下野国となった。読みは「しもつけ」のままである。上野国は「下野」に合わせて決められた。[要出典]
国府は、都賀郡(都加郡)にあった。現在の栃木市田村町にあり、遺跡が発掘されている。
同国の国分寺の法燈は、栃木県下野市国分寺の真言宗豊山派瑠璃光山東方院国分寺(本尊:薬師如来)が伝承する。国分尼寺は現存しない。安国寺は、栃木県下野市薬師寺の真言宗智山派医王山安国寺(本尊:薬師如来)が伝承する。因みに、利生塔の候補でもある。
延喜式神名帳には大社1座1社、小社11座11社の計12座12社が記載されている。唯一の大社は河内郡の二荒山神社で、一宮となっている。現在、「二荒山神社」という名前の神社は2社あるが、河内郡内であるのは宇都宮市馬場通りの二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)であり、「宇都宮(うつのみや)」という地名も「一宮(いちのみや)」に由来するものとされる。後に、同名の日光市山内(旧 都賀郡)の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)も下野国一宮を名乗るようになった。総社は、栃木市惣社町の大神神社である。
下野守
多治比廣成(708年<和銅元年>3月13日 (旧暦)) 従五位下
伊吉古麻呂(732年<天平4年>10月17日 (旧暦)) 従五位上
秦大魚(746年<天平18年>9月) 従五位下
巨勢君成 (748年 <天平20年>3月12日 (旧暦)) 従五位下
小野小贄(752年<天平勝宝4年>11月13日 (旧暦)) 従五位下
石川名足(761年<天平宝字5年>1月26日 (旧暦)) 従五位下
佐伯三野(767年<神護景雲元年>3月20日 (旧暦)) 従五位上
佐伯伊多智(771年<宝亀2年>閏三月戊子朔) 従四位上 中衛中将
大中臣宿奈麻呂(774年<宝亀5年>3月5日 (旧暦)) 従五位下
大中臣諸魚(779年<宝亀10年>2月23日 (旧暦)) 従五位下 衛門佐 中衛少将
文室高嶋(782年<延暦元年>) 従五位上
佐伯葛城(787年<延暦10年>2月25日 (旧暦)) 従五位下 民部少輔 征東副将軍
百済王俊哲(787年<延暦10年>) 陸奥鎮守将軍 従四位下
安倍弟当(789年<延暦12年>9月12日 (旧暦)) 従五位上 左少弁