仏教
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上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつ。「Theravada」は、パーリ語の「theravaada」のことである。他の日本語表記として上座仏教、テーラワーダ仏教などがある。また時には南伝仏教、小乗仏教などと呼ばれることもある。
目次
1 歴史
2 特徴
3 日本との関係
4 関連項目
5 外部リンク
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釈迦は生前に重要でない戒律はサンガの同意によって変更してよいとしていた。釈迦の死後、仏教がインド北部に伝播すると、食慣習の違う北部インドでは正午以前に托鉢を済ませることは不可能であった。このため正午以降に昼食を取るものや替わりに金銭を受け取って食べ物を買い正午までに昼食を済ませるものが現れた。これによって、戒律の修正を支持する大衆部といかなる修正にも反対する戒律保守の上座部との根本分裂を経て枝葉分裂が起り、部派仏教の時代に入る。
部派仏教の時代には、上座部からさらに分派した説一切有部が大きな勢力を誇った。新興の大乗仏教が主な論敵としたのはこの説一切有部である。大乗仏教側は説一切有部を論難するに際して、(自己の修行により自己一人のみが救われる)小乗(ヒーナヤーナ、hiinayaana)仏教(しょうじょうぶっきょう)と呼んだとされる。(ただし、小乗は侮蔑の言葉なので今は使われるべきではない)大乗仏教は北インドから東アジアにひろがった。
上座部仏教はマウリア朝アショーカ王の時代にインドから主に南方のスリランカ(セイロン島)、ビルマ、タイなど東南アジア方面に伝播した。このため南伝仏教とも呼ばれる。現在では、スリランカ、タイ、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジアの各国で多数宗教を占める。またベトナム南部に多くの信徒を抱え、インド、バングラデシュ、マレーシア、インドネシアにも少数派のコミュニティが存在する。
アジアの上座部仏教圏のほとんどは西欧列強の植民地支配を受けた。また宗主国で、支配地の文化の研究が植民地政策の補助として奨励されたため、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教の経典・教典の文献学的研究はイギリス(スリランカとミャンマーの旧宗主国)を中心に欧州で早くから進んだ。ロンドンのPali Text Societyから刊行されたパーリ三蔵(PTS版)は過去の仏教研究者のもっとも重要な地位を占めた。その後イギリスは植民地の宗主国としての地位を喪失し、大学でもついに日本のようにインド哲学科が設置されることもなく、サンスクリット語の研究もオックスフォード大学で細々と行われている。一方で欧米人の中から上座部の比丘になる者、またスリランカでは英語が公用語である関連から特に大卒のスリランカ出身の比丘は英語も堪能であるので彼らが中心になって大学という枠組みの外でパーリ三蔵の翻訳が活発である。
一方で、イギリスの旧植民地のスリランカやビルマ、それとタイから移民や難民がアングロサクソン系のイギリス、カナダ、アメリカ、オーストラリアに大規模に流入した関係で、欧米への布教伝道も旺盛に行われている。欧米にはチベット密教系や東アジアの禅宗系と並んで、あるいはそれ以上に数多くの、上座部仏教の寺院や団体がある。
上座部仏教では具足戒(出家者の戒律)を守る比丘サンガと彼らを支える在家信徒の努力によって初期仏教教団、つまり釈迦の教えを純粋な形で保存してきたとされる。しかし、仏教学者の間では、現在の上座部は部派仏教時代の一部派の教えを保存しているとされるに留まる。これは大乗仏教の経典に残る部派仏教(小乗仏教)の教えや、さらに近年パキスタンで発見された、別の部派仏教の教典と上座部のパーリ教典の相違点の比較から導き出された結論である。
教義では、次のようにされている。限りない輪廻を繰り返す生は「苦しみ(dukkha)」である。この苦しみの原因は、こころの執着(貪瞋癡)である。そして、こころの執着を断ち輪廻を解脱するための最も効果的な方法は、教典の学習、戒律の厳守、瞑想の修行であるとする。大乗仏教では部派仏教の形式主義を批判し、釈尊の真精神を発揮するとの立場から、数あまたの如来・諸菩薩が活躍する大乗経典を生み出し、中観・唯識に代表される思想的展開が図られていった。