日本の政治家
三木武吉
みき ぶきち
生年月日1884年8月15日
出生地香川県高松市
没年月日1956年7月4日(満71歳没)
死没地東京都
出身校東京専門学校(現:早稲田大学)
所属政党自由民主党
配偶者三木かね子
衆議院議員
当選回数9回
就任日1917年
退任日1956年7月4日
退任理由死去のため
東京市議会議員
就任日1922年
表・話・編・歴
三木 武吉(みき ぶきち、1884年8月15日 - 1956年7月4日)は、日本の政治家。鳩山一郎の盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者。「ヤジ将軍」「策士」「政界の大狸」などの異名を取った。
目次
1 生涯
1.1 政治家になるまで
1.2 憲政会所属の政党政治家として
1.3 引退、政界復帰、そして公職追放
1.4 吉田内閣打倒、鳩山内閣誕生へ
1.5 保守合同、そして人生の終焉
2 エピソード
3 脚注
4 関連書籍
5 関連項目
6 外部リンク
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香川県高松市に骨董商・三木古門の長男として生まれる。三木武夫とは縁戚関係は無い。
高松中学(現、香川県立高松高等学校)2年の時、うどん食い逃げ事件の首謀者として退校処分となり、京都の同志社中学(現、同志社高等学校)に転じたが、乱闘事件を起こし放校される。星亨を頼り上京、星の法律事務所に書生として住み込むという日、1901年6月21日に星が暗殺されてしまう。
東京専門学校(現早稲田大学)に入学。学友には大山郁夫、永井柳太郎、橋戸頑鉄(信)らがいる。新宿で女遊びに明け暮れる一方、野球や法律の勉強に懸命に取り組んだ。創部当初の早稲田大学野球部にも入部してはいたものの、その腕前は非常に拙いものであったという[1]。ただ早大野球部の公式文書である部史に名前はなく、また稲門倶楽部員でもない。後に三木夫人となる天野かね子とのなれそめもこの頃である。1904年、東京専門学校を卒業。
翌1905年に日本銀行に入行、門司支店に配属となるが、ポーツマス条約に反対する政府弾劾演説会に飛び入り参加し、桂太郎内閣退陣を要求する演説をして服務規定違反を問われ免職となる。1907年、司法試験に合格、東京地方裁判所司法官補に任じられるが、宮仕えは性格にあわず、7ヵ月後、弁護士となる。同年、天野かね子と結婚。
1913年、牛込区議会議員に当選。次いで衆議院議員総選挙に立候補するが、落選。1916年、憲政会に入党し、翌1917年の衆議院議員総選挙で衆議院議員に当選する。
衆議院議員に当選した三木は頭角をあらわし、特に舌鋒鋭く政府を批判し、「ヤジ将軍」の名を欲しいままにした。1920年6月29日から開会された第43議会では、原敬内閣の高橋是清大蔵大臣が海軍予算を説明中、「陸海軍共に難きを忍んで長期の計画と致し、陸軍は十年、海軍は八年の…」と言いかけたときに、「ダルマは九年!」のヤジは余りにも有名である。また、普通選挙をめぐり床次竹二郎内務大臣と論戦を展開し、濱口雄幸の目にとまる。