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万里(ばんり、ワン・リー、Wan Li、1916年12月1日-)は、山東省東平生まれの中華人民共和国の政治家。国務院副総理、全人代委員長などを歴任した。
?小平の3度目の失脚の際、共に失脚。復活後、安徽省党委書記の任にあった頃、包産到戸政策(農民の個人請負制)を積極的に進め、「食糧が欲しければ趙紫陽を、米が食べたければ万里を探せ」(“要吃粮,找紫?;要吃米,找万里”)と言われた。?小平の改革開放政策の支持者。
1989年5月17日、訪問先のカナダで天安門広場での学生運動を愛国的行動と認める談話を新華社が伝え、戒厳令に反対する側に期待感が生まれたが、25日に予定を繰り上げて帰国したものの帰着先は北京ではなく上海だった。新華社は病気療養としていたが、実際は党中央が万里に上海で休養するよう指示を出していた。楊尚昆が江沢民を使って説得。27日、一転して党中央の支持を表明する。
中央の経験の無い江沢民の総書記就任に不安を覚えた彭真が彼を推したとされるが、既に高齢(1989年当時で73歳)であり、全人代委員長という閑職に就いていたため見送られた。
1990年代に入っていわゆる「八大元老」のオリジナルメンバーが死去し始めた頃、万里を八人目に加えることがあった。
主な職歴
1950年6月-1954年9月 西南軍政委員会財政経済委員会委員
1952年11月 中央人民政府建築工程部副部長
1954年-1955年4月 国務院建築工程部副部長
1955年4月 国務院都市建設総局局長
1956年5月-1958年2月 都市建設部部長
1958年3月-1966年10月 北京市党委書記
1958年8月-1966年6月 北京市副市長
1959年9月-1977年11月 北京市政治協商会議副主席(第2期-第4期)
1973年5月-1975年1月 中共北京市委書記、市革委会副主任
1975年1月 鉄道部部長
1977年6月 安徽省党委第一書記
1978年1月-1979年12月 安徽省革命委員会主任、省軍区政委
1980年4月-1988年4月 国務院副総理
1980年8月-1982年5月 国家農業委員会主任、党?書記
1982年 中共中央政治局委員(第12期)、中央書記処書記
1987年 中共中央政治局委員(第13期)
1988年 全国人大常委会委員長(第7期)
先代:
彭真全国人民代表大会常務委員長
1988年 - 1993年次代:
喬石
カテゴリ: 中華人民共和国の政治家 | 1916年生
更新日時:2008年5月15日(木)19:35
取得日時:2008/07/20 22:16