一条天皇
66代天皇
在位期間:986年7月31日 - 1011年7月16日
在位中の時代平安時代
在位中の年号寛和
永延
永祚
正暦
長徳
長保
寛弘
在位中の首都平安京
在位中の皇居一条御所
諱懐仁
出生980年7月15日
死没1011年7月25日
陵墓円融寺北陵
皇子女脩子内親王
敦康親王
び子内親王
後一条天皇
後朱雀天皇
皇后藤原定子
中宮藤原彰子
女御藤原義子
藤原元子
藤原尊子
父親円融天皇
母親藤原詮子
一条天皇(いちじょう てんのう、天元3年6月1日(980年7月15日) - 寛弘8年6月22日(1011年7月25日))は第66代天皇。在位は寛和2年6月23日(986年7月31日) - 寛弘8年6月13日(1011年7月16日)。名は懐仁(やすひと/かねひと)。
目次
1 系譜
1.1 系図
2 略歴
3 后妃・皇子女
4 諡号・追号・異名
5 在位中の元号
6 陵墓・霊廟
7 参考文献
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円融天皇の第1皇子。母は藤原兼家の娘、詮子。兄弟姉妹はいない。
(60)醍醐天皇 (61)朱雀天皇 広平親王
(62)村上天皇 (63)冷泉天皇 (65)花山天皇
兼明親王 致平親王 (67)三条天皇 敦明親王(小一条院)
(源)高明 為平親王 禎子内親王
(後三条母、陽明門院)
(64)円融天皇 (66)一条天皇 (68)後一条天皇
昭平親王 (69)後朱雀天皇 (70)後冷泉天皇
具平親王 (源)師房
〔村上源氏へ〕 (71)後三条天皇
永観2年(984年)、花山天皇の時、皇太子に立てられる。寛和2年(986)6月23日(8月1日)、花山天皇が内裏を抜け出して出家してしまったために、数え年7歳で即位した(孫の早期即位を狙った兼家の陰謀と言われる)。皇太子には冷泉天皇の皇子居貞親王(三条天皇)を立て、摂政に藤原兼家が就任した(のちに関白)。
兼家の死後は長男の道隆が引き続き外戚として摂政・関白を務め、一条天皇の中宮に娘の定子(ていし)を入れるが、長徳元年(995年)に病没。代わりに弟の道兼が関白に就任するがわずか7日後に没し、道隆の子伊周との争いに勝利した道隆・道兼の弟道長が、姉で天皇の生母・詮子の推挙を受け、内覧となって実権を掌握した。道長は先に中宮であった定子を皇后とし、娘の彰子(しょうし)を中宮に立てて、一帝二后の先例を開いた。
一条天皇の時代は道隆・道長兄弟のもとで藤原氏の権勢が最盛に達し、皇后定子に仕える清少納言、中宮彰子に仕える紫式部・和泉式部らによって平安女流文学が花開いた。天皇自身、文芸に深い関心を示し、『本朝文粋』などに詩文を残している。