一ツ橋
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この項目では東京都千代田区の地名について記述しています。その他の用法については一橋をご覧ください。

一ツ橋(ひとつばし)とは、東京都千代田区の地名である。当地域の人口は、43人(2007年4月1日現在、住民基本台帳による。千代田区調べ。ただし一ツ橋一丁目は人口0なので、実質二丁目のみの人口数)。郵便番号は、一丁目が100-0003、二丁目は、 101-0003。
目次

1 概要

2 歴史

3 学校・施設・企業ビルなど

4 隣の地名

5 関連項目

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概要

「一ツ橋」の地名は中心部よりやや南を南東から北西へ縦断する神田川日本橋川)に架かる一ツ橋(一橋)に由来している。

神田川を境に一丁目(南)と二丁目に分かれており、とても狭い。特に1丁目は、内側に道路が通っていない。交通面では中心部に竹橋JCTがある。すぐ近く、東南東に一ツ橋出入口がある。隣の一般道路は南が内堀通り、西が専大通り、中心より南が外堀通りとなっている。鉄道は南端に東京地下鉄東西線竹橋駅がある(一ツ橋1丁目、駅東の一部は隣の大手町一丁目・東端は千代田)。竹橋は隣の北の丸公園にある。

また、江戸城の北に位置していて、西は清水濠、南は平川濠・大手濠に接している。平川橋も架かっている。

小学館及びその関連会社(集英社など)の本社が集中していることから、出版業界ではそれら企業群のことを俗に「一ツ橋グループ」と呼ぶ。特にライバル・講談社グループのことを「音羽グループ」と呼ぶのに対比させて使用する場合が多い。


歴史
「一ツ橋」の由来

一ツ橋付近はもともと日本橋川と小石川(現在の白山通り)の合流地点であり、合流点をあらわす「ひとつ」がこの地点に架かる橋の名称、さらにこの付近の地名になった。町名の由来となった一ツ橋は後述の一橋御門の築造以前から存在していたと考えられている。
江戸時代

江戸時代初期の1606年慶長11年)以降、この橋の前に江戸城の外郭門が築造され、「一橋御門」と命名された。8代将軍徳川吉宗は、子の宗尹に一橋門内(現在の丸紅本社 - 一橋会館の一画)に屋敷を与えて一橋家を創設、のち御三卿の一つに数えられた(地名が「一ツ橋」と表記されるのに対し、御三卿の家名は一般に「一橋」と表記される)。江戸中期以降、一橋門外は火除明地となり一帯は「護持院原」(ごじいんがはら / 森鴎外の小説で有名)と命名された。
明治時代以降

江戸幕府終焉後の1873年明治6年)になって一橋門は撤去された。こののち一ツ橋および隣接の神田錦町東大一橋大東京外大学習院の前身校が設置されたことで、かつて護持院原と呼ばれたこの一帯は明治時代の一時期には文教地区の観を呈し、各大学の校史において「発祥の地」として位置づけられている(東京商科大学 (旧制)東京外国語学校 (旧制)など参照)。特に一橋大の場合、前身校である旧制東京商大は、国立への移転を経て第二次世界大戦後の新制大学移行に際し、発祥の地名を校名に冠し「一橋大学」と改称、現在に至っている。文教地区としての一ツ橋の雰囲気は、共立女子大キャンパスおよび一橋大の一部施設(一橋講堂・如水会館など)にわずかに残されている。


学校・施設・企業ビルなど
一丁目


毎日新聞社本社(パレスサイドビルディング

二丁目


学術総合センター(一橋講堂)

共立女子中学高等学校

共立女子大学共立女子短期大学

千代田区立神田一橋中学校

一ツ橋センタービル

小学館

岩波書店

集英社

一ツ橋ビル

一ツ橋ホール(日本教育会館

共立女子大学神田一ツ橋キャンパス

パレスサイドビル(毎日新聞東京本社)

小学館

集英社


隣の地名

神田神保町(北西〜北〜北東)

九段南(西)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen