プブリウス・ウェルギリウス・マロ(Publius Vergilius Maro, 紀元前70年10月15日 - 紀元前19年9月21日)は、古代ローマの詩人。バージルともいう。『牧歌』、『農耕詩』、『アエネイス』という三つの叙情詩及び叙事詩(ヘクサメトロスという韻律で書かれた詩でテオクリトスと同一又は類似の韻律を踏襲している)を残した。ヨーロッパ文学史上、ラテン文学において最も重視される詩人である。
目次
1 略歴
2 作品
2.1 牧歌
2.2 農耕詩
2.3 アエネイス
3 後世の影響
4 参考文献
5 外部リンク
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生地はガリア・キサルピナのアンデスという村で、現在の北イタリアマントヴァ付近のアンデスという農村だったと考えられている。ウェルギリウスはクレモナとミラノで教育を受けた後、ローマで修辞学、弁論術、医学、天文学等を修め、その後エピクロス学派の哲学を学んだ。
ガイウス・ユリウス・カエサルの暗殺後、マルクス・アントニウスとオクタウィアヌスは、ピリッピの戦いで共和派を破ったが、その後オクタウィアヌスは、退役軍人に農地を与えるため、イタリア各地で農地の没収を始めた。その際ウェルギリウスの農地も一時没収の憂き目に会うが、オクタウィアヌスに直訴することで、没収をまぬがれた。ポリオの庇護を受けて、ウェルギリウスは『牧歌』を完成させる。それが、オクタウィアヌスの寵臣であったガイウス・マエケナスの目にとまり、以後その庇護を受け、詩作活動を行った。紀元前19年、50歳で没した。
『牧歌(Bucolica)』は『選集(Ecloga)』ともいい、ウェルギリウスの第一作である。シチリア生まれの詩人テオクリトスの牧歌の影響を大いに受けている為、その背景はコス島とシチリアを基礎としギリシア文化圏のドーリス方言の発祥地である『アルカディア』になっているが、実際には当時のイタリアの風物や人物を織り込んでおり、イタリアをその後継地としており、昇華された理想郷として超越して理念化されている。このことは、テオクリトスの「牧歌(ΕΙΔΥΛΛΙΑ)」と対蹠的である。
『農耕詩』はギリシアの詩人の先行作品が散逸しており、ヘシオドスの作品『労働と日々』に遡ることしかできない、農民の生活と自然と農作の方法、葡萄栽培法、養蜂法、牧畜の方法が愛着を込めて描かれている。
遺稿として残された『アエネイス』(「アイネイアスの物語」の意)はウェルギリウスの最大の作品であり、ラテン文学の最高傑作とされる。『アエネイス』以後に書かれたラテン文学で、『アエネイス』を意識していない作品は皆無である。 この作品の完成にウェルギリウスは前29年から彼が死ぬ前19年までの11年間を費やした。彼は死の前に原稿を焼却するよう強く望んだが、皇帝アウグストゥスはそれを認めずに刊行を命じたと言われている。 『アエネイス』は十二巻からなり、ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』に範を取った叙事詩である。すなわち、前半部分(1-6巻)の、アエネアスがイタリアにたどり着くまでに放浪を続ける箇所が『オデュッセイア』的な、後半部分(7-12巻)の、イタリアにたどり着いたアエネイアスが、土着の勢力と戦う箇所が『イリアス』的であるとされる。もちろん、全編に渡って、ホメロスの影響は大きく、以上の区分はあくまで作品全体を巨視的に見た場合に妥当するものである。
トロイアの王子でウェヌスの息子であるアエネアスが、トロイア陥落後、地中海を遍歴し、保護者となったカルタゴの女王ディドの恋愛を棄て(第4巻)、イタリアにたどり着く。ティベリス川を遡り、パラティヌス丘にのちにローマ市となるパッランテウム市を建設したエウァンデルと同盟を結び、土着勢力ルトゥリ族の首長トゥルヌスを倒して、ラウィニウム市を建設する。『アエネイス』はここで終わる。(『ああ、私達は食卓(mensa)まで食べ尽くしてしまったね』とイウールスが言ったとき、もはやそれは戯れでもなくなっていた。その声が聞かれたことが、苦難の終わりをもたらす初めとなった。息子の口にした言葉を耳にすると直ちに父アエネアスは神意に驚き打たれ、その言葉を胸に刻んだ。:Aeneis[アエネイス]VII 116-119)
ウェルギリウスはダンテ・アリギエーリにも大きな影響を与えている。ダンテは、『神曲』においてウェルギリウスを自分の詩の根源として称え、主人公ダンテの『師』として案内役に登場させた。