ヴェネツィア・ビエンナーレ(La Biennale di Venezia, 英語: Venice Biennale / Venice Biennial)は、イタリアのヴェネツィアで1895年から開催されている現代美術の国際美術展覧会。二年に一度、奇数年に開催されている。ビエンナーレとはイタリア語で「二年に一度」を指す。毎年ヴェネツィアで開催されているヴェネツィア国際映画祭、美術と同じ会場で偶数年に開催されている建築の展覧会・ヴェネツィア建築ビエンナーレ、その他、国際演劇祭、国際舞踊祭(コンテンポラリー・ダンス国際フェスティヴァル)、フェニーチェ劇場で行われる国際音楽祭(ヴェネツィア国際現代音楽祭)もヴェネツィア・ビエンナーレの一部である。
目次
1 開催形式
1.1 日本館
2 歴史
3 参考文献
4 脚注
5 外部リンク
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参加各国は事前にそれぞれの国のコミッショナー(展示企画者)と代表アーティストを選出し、ヴェネツィアに設けられた自国パビリオンでコミッショナーの企画した意図や設定したテーマをもとに代表アーティストを紹介する。その中から毎回、優秀賞(金獅子賞)が選ばれており、美術のオリンピックとも称される。また国別展示のほかに、各回ごとにイタリアを中心に世界の美術評論家・キュレーターから選ばれるディレクターが企画し、様々な国からアーティストを招待して行う大規模なテーマ展がある。ビエンナーレに協賛して様々な財団や美術館などが行う特別展も市内の各所で同時期に開催されており、ビエンナーレが開催される年の春から秋にかけては世界各国から美術愛好家や関係者がヴェネツィアを訪問する。
ビエンナーレの主会場はヴェネツィア市街最大の公園・ジャルディーニ(正式名はカステッロ公園だが、「公園」を意味するジャルディーニと通称される)であり、園内には参加各国が所有・管理する30の恒久パビリオンが建っている。恒久パビリオンを所有している国はアメリカ・フランス・ドイツ・ロシア・南米諸国など1930年代の強国や冷戦時代の西側陣営の同盟国、その他国際社会での政治力でパビリオンを建てることのできた国であり、パビリオンを持っていない国はジャルディーニ最大のパビリオンであるイタリア館を間借りするか、もしくはジャルディーニの外の市街各所にあるヴィラ(邸宅)を確保して自国アーティストの展示を行う。ビエンナーレのディレクターが企画する展覧会には、現在ではヴェネツィア共和国時代の国立造船所、アルセナーレの建物が使われている。
各国の代表にならなかった世界の若手アーティストを取り上げる企画展「アペルト」(Aperto)は、スイスの気鋭キュレーターのハラルド・ゼーマンにより1980年に開始され、後にビエンナーレの公式プログラムの一部となった。多くのアーティストの国際舞台へのデビューとなった「アペルト」も1995年には一旦廃止されたが、ゼーマンがビエンナーレ全体のディレクターに就任した1999年に復活し、以後毎回アルセナーレで開催されている。
日本館中村政人の『Q・S・C+mV/VV』、2001年の日本館は逢坂恵理子をコミッショナーとし、『ファースト&スロウ』をテーマに藤本由紀夫、畠山直哉、中村政人の三人が出品した[1]
日本(農商務省)は第2回の1897年にイタリア政府の要請を受けて工芸作品などを出展しているが、その次の参加は第14回(1924年)まで飛んでいるなどビエンナーレには関心を示さず、展示スペースは毎回他国のパビリオンを間借りしていた。1930年代以降、日本政府はたびたびイタリア政府からパビリオン建設を打診されており民間でも募金で日本館を建設する構想があったが建設に踏み切ることなく大戦に突入した。
1952年に日本政府(外務省)はビエンナーレにはじめて公式参加しているが、一人または少数の作家を選抜しテーマを絞る他国に対して日本は当初伝統美術や近代美術などから折衷的に選んだ多数の作家を総花的に紹介するのみで、まったく反響が得られなかった。1950年代前半にイタリア政府から日本外務省へ、ジャルディーニに空いていた最後のパビリオン用地に日本が1956年までにパビリオンを建設しない場合はパビリオンを欲している他国へ用地を割り当てるという通告がなされた。日本は予算を理由に建設を見送るところであったが、1955年、ブリヂストンの会長だった石橋正二郎が外務省の要請に応じて資金を政府に寄付し、外務省予算と合わせて建設費が出せることになった。吉阪隆正の設計による日本館が完成したのは1956年であった。
19世紀末、ミラノなどの影にかすみがちだったヴェネツィア市は、芸術都市としての復活を賭けていた。1893年にウンベルト1世とマルゲリータ王妃の銀婚式を記念し、ヴェネツィア市議会はヴェネツィアが人道及び文化の面で貢献する街になることを決議し、同時にその一環となる国際美術展の開催が決められた。ヴェネツィア市は1895年にジャルディーニのイタリアパビリオンで最初のビエンナーレを開催した。当初は装飾芸術が主だったビエンナーレはその後、20世紀の美術運動を紹介する場となるとともに、国際政治の確執の舞台ともなってゆく。
20世紀初頭には展覧会の国際化が進み、1907年からはジャルディーニ内に自国専用パビリオンを建てる国が現われた。第一次世界大戦後、近代美術に欧米の注目が集まる中、ビエンナーレは近代美術の紹介と各国文化の競争に焦点を当てるようになった。戦間期には多くの重要な美術家がビエンナーレに参加している。ジャルディーニにあるドイツ館ジャルディーニのスウェーデン・ノルウェー館