ヴィーン会議
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この項目では1814年-1815年のヨーロッパ列強の会議について記述しています。1961年のケネディとフルシチョフの会談についてはウィーン会談をご覧ください。ウィーン会議の様子 J.B.Isaben画

ウィーン会議(ウィーンかいぎ、ドイツ語: Wiener Kongress、英語: Congress of Vienna)は、1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国首都ウィーンにおいて開催され、ヨーロッパ諸国が集った会議である。議長は、オーストリアのメッテルニヒ首相兼外相が務めた。
目次

1 概要

2 各国代表

3 議定内容

4 関連項目

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概要

ウィーン会議は、フランス革命ナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進行せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された。1815年3月にナポレオンエルバ島を脱出したとの報が入ると、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日ウィーン議定書が締結された。ウィーン会議の結果成立したヨーロッパにおける国際秩序をウィーン体制と呼ぶ。


各国代表

オーストリア - フランツ1世クレメンス・メッテルニヒ(議長)


イギリス - カスルリー子爵(途中で帰国)、ウェリントン公


ロシア - アレクサンドル1世カール・ロベルト・ネッセルローデ、アンドレアス・ラズモフスキー( ⇒w:Andreas Razumovsky


プロイセン - フリードリヒ・ヴィルヘルム3世カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルクヴィルヘルム・フォン・フンボルト


フランス - タレーラン=ペリゴール


ローマ教皇国 - エルコール・コンサルヴィ枢機卿


議定内容ウィーン体制下(1815年)のヨーロッパ

※強調は神聖同盟(四国同盟)締結国である。

イギリス

フランスからマルタ島を獲得。

オランダからセイロン島スリランカ)とケープ植民地を獲得。



オーストリア

ロンバルディアヴェネツィアを獲得。



ロシア

ロシア皇帝が大公を兼ねるフィンランド大公国を承認。

オスマン帝国からベッサラビアを獲得。

ワルシャワ公国の大部分をポーランド立憲王国とし、ロシア皇帝が王を兼ねる事実上のロシア領とした(第四次ポーランド分割)。



プロイセン

ザクセン王国の北半分、ラインラント、ワルシャワ公国の一部を獲得。

スウェーデンから西ポンメルンを獲得。



スウェーデン

デンマークからノルウェーを獲得。ノルウェーはスウェーデンとの同君連合となった(スウェーデン=ノルウェー)。




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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki