ヴァロワ朝
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ヴァロワ朝(ヴァロワちょう、dynastie des Valois)は、中世フランス王国王朝1328年から1589年まで続いた。

1328年カペー朝が断絶したため、カペー家の支流ヴァロワ家からフィリップが即位しヴァロワ朝が始まった。初期には1339年に勃発した百年戦争に苦しんだが、この戦争を通じて英仏両国で国民意識が形成された。1589年までの間に13代の王を輩出した。
目次

1 歴史

1.1 成立と百年戦争

1.2 イタリア侵略


2 歴代国王

3 関連項目

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歴史フランソワ1世


成立と百年戦争

カペー朝第10代国王・フィリップ3世の子シャルル1285年にヴァロワ伯に封じられ、ヴァロワ家を創始した。1328年にカペー朝が断絶し、シャルルの子フィリップ6世諸侯の推挙により即位し、ヴァロワ朝が成立した。

ところが、当時のイングランド王エドワード3世もフランス王家の血を引く人物であったことから、エドワード3世はフランス王位並びにフランス北部における領土を要求し、1337年から百年戦争が勃発した。

名将エドワード黒太子率いるイングランド軍の攻勢の前に、フランス軍は連戦連敗を喫した。フィリップ6世の子ジャン2世などは黒太子に敗れて捕虜となったほどである。しかしジャン2世の子シャルル5世(賢明王)は優秀な人物で、フランス王国を再建することに成功した。しかしそのシャルルが1380年に食中毒が原因で44歳の若さで他界すると、再びフランス軍はイングランド軍の前に連戦連敗を喫し、イングランド国王は、フランス国王にまで推戴され、遂には王国存続の危機にまで立たされた。

そのような中でシャルル7世の時代に現れたジャンヌ・ダルクの活躍により、フランス軍はイングランド軍に対して反攻を開始する。ジャンヌは後にイングランド軍の捕虜となって火あぶりにされたが、フランス軍の攻勢の前にイングランド軍は敗戦を重ね、1453年、遂に百年戦争はフランス軍の勝利で幕を閉じた。


イタリア侵略

フランスを事実上統一したヴァロワ朝はイタリアへと領土的野心を向け、シャルル8世1494年イタリア戦争を開始する。1498年、フィリップ4世に始まるヴァロワ本家はシャルル8世の死去で断絶し、ヴァロワ朝第3代のシャルル5世の子オルレアン公ルイの孫がルイ12世として即位した。これをヴァロワ=オルレアン家という。

1515年に死去したルイ12世にも世継ぎがなく、同じくオルレアン公ルイの孫で従兄であるアングレーム伯シャルルの息子フランソワを養子とした。これがヴァロワ=アングレーム家である。ヴァロワ=アングレーム家はフランソワ1世からアンリ3世まで5代続いた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki