フランス > ロレーヌ地域圏
ロレーヌ地域圏
⇒Lorraine
首府メス (都市)
⇒Metz
人口2,333,504人
(2005年)
面積23,547km2
郡19
小郡157
市町村2,337
ロレーヌ地域圏(Lorraine)は、フランス北東部、ドイツ国境に近い地域圏である。ドイツ語ではロートリンゲン(Lothringen)と称される。
ローマ人による征服以来、この地はトレーヴ、メスが都市として発達した。ロレーヌの名称は、ヴェルダン条約(843年)によってこの地方がロタリンギアに属したことに由来する。ロタリンギア分裂後、帰属をめぐって抗争が起き、10世紀に高(上)ロレーヌと低(下)ロレーヌの南北2公国に二分され、後者がやがてブラバント公に帰属したため、前者が11世紀以来ロレーヌという名称を指すようになった。13世紀前半まで神聖ローマ帝国の勢力下にあったが、13世紀後半よりフランス王の勢力が浸透し、三十年戦争に際してはリシュリューが事実上占領した。17世紀末までフランスの支配下にあり、ロレーヌ公位は名目上にすぎなかったが、ライスワイク条約(1697年)で再び神聖ローマ帝国へ戻った。1736年まではロートリンゲン公国として神聖ローマ帝国の領邦国家となっていた。ロートリンゲン公フランツ・シュテファンは、マリア・テレジアと1723年に15歳で婚約したが、ルイ15世は結婚を認める条件として、元ポーランド王スタニスワフ・レシチニスキにロートリンゲン公国を譲渡することを要求していた(代償としてフランツ・シュテファンにはトスカーナ大公国が与えられる)。この条件は了承され、1736年2月に婚姻がなされた。ルイ15世はスタニスワフにロレーヌを余生の場として提供した。1766年、スタニスワフの死後に公国は最終的にフランスに併合され、1776年ナンシーに高等法院が設置された。1870年から1871年の普仏戦争の結果、ロレーヌの一部がドイツ帝国に併合されたが、1919年のヴェルサイユ条約の結果、フランスに帰属した。
現在でも特にモゼル県などにはドイツ系住民が多く暮らす。地域圏の広さは東京都の約10倍(九州の6割程度)、人口は宮城県と同じぐらいである。
名称人口(人)州都/主府/本部備考
モゼル県
⇒Moselle1,033,000メス
⇒Metz
ムルト=エ=モゼル県
⇒Meurthe-et-Moselle723,000ナンシー
⇒Nancy
ムーズ県
⇒Meuse193,000バル=ル=デュック
⇒Bar-le-Duc
ヴォージュ県
⇒Vosges382,000エピナル
⇒Epinal
関連項目
アルザス=ロレーヌ
ロートリンゲン語 ⇒Lothringisch(フランケン方言 ⇒Frankisch の一種)
アルザス・ロレーヌ出身者の一覧
ロレーヌ十字
表・話・編・歴 フランスの地域圏
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