ロス暴動
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ロス暴動(ロスぼうどう)は、1992年4月末から5月頭にかけて、アメリカ合衆国ロサンゼルスで起きた大規模な暴動。新旧の人種問題、陪審制の難しさなど、暴動の背景にある多くの問題が浮き彫りになった。
目次

1 潜在的要因

1.1 人種間の緊張の高まり

1.2 ロドニー・キング事件、およびその裁判

1.3 ラターシャ・ハーリンズ射殺事件


2 暴動勃発

3 影響

4 ロス暴動を題材にした作品

4.1 音楽

4.2 映画

4.3 その他


5 リファレンス

6 関連項目

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潜在的要因

日本における報道でロス暴動はロドニー・キング事件に対する白人警官への無罪評決をきっかけとして突如起こったかのような印象を受けることが多いが、その潜在的要因としてロサンゼルスにおける人種間の緊張の高まりが挙げられる。アフリカ系アメリカ人の高い失業率、ロス市警による黒人への恒常的な圧力、韓国人店主による黒人少女(ラターシャ・ハーリンズ)射殺事件とその判決に対する不満などが重なり、重層的な怒りがサウスセントラル地区の黒人社会に渦巻いていた。そこにロドニー・キング事件のロス市警警官に対して無罪評決が下されたことが引き金となって、黒人社会の怒りが一気に噴出して起きた事件であるといえる。


人種間の緊張の高まり

事件の重要な要件として、暴動がはじまったサウスセントラル地区の人口比率の変化が挙げられる。サウスセントラルはかつて黒人地区であったが、ヒスパニック系が居住者として取って代わるようになり、一方では韓国系アメリカ人がそれまで黒人の所有していた酒屋や雑貨店などを買い取って商売をはじめていた。国勢調査によれば、歴史的に黒人居住地区であった場所におけるヒスパニック系住民の増加率は119%に達していたという。こういった地区では商店などの経済競争が人種間の憎悪を高めていった。それまで黒人が一手に引き受けていた単純労働は、半分の賃金で働くラテン系移民へと移っていった。また、韓国人(コリアンアメリカン)による黒人に対する極端とも言える黒人蔑視など、韓国人商店と客である黒人住人との関係のみならず、黒人社会と韓国人社会とで明確に断絶していた。黒人住民たちは韓国人商店の客扱いが酷く商品が値上がりしているとの不満を持っていた。

こういった状況の中、ラッパーアイス・キューブは1991年10月に発表したアルバムで、黒人社会と韓国人社会間に存在する軋轢をBLACK KOREAという曲において韓国人を攻撃する歌詞という形で表現している。


ロドニー・キング事件、およびその裁判

1991年3月3日、レイクビューテラス付近でスピード違反を犯した黒人男性ロドニー・キングを、20人にものぼるロス市警の白人警官が車から引きずり出して、装備のトンファーバトンやマグライトで殴打、足蹴にするなどの暴行を加えた。たまたま近隣住民が持っていたビデオカメラでこの様子を撮影しており、この映像が全米で報道され黒人たちの激しい憤りを招いた。

この事件でビデオに写り身元がわかる4人の白人警官3人とヒスパニック系警官1人(ステイシー・クーン、ローレンス・パウエル、セオドア・ブリセーノ、ティモシー・ウインドゥ)が起訴された。裁判の結果、警官達の“キングは巨漢で、酔っていた上に激しく抵抗したため、素手では押さえつけられなかった”との主張が全面的に認められ(実際は近隣の住民がおとなしく両手をあげて床に伏せたキングが無抵抗のまま殴打され、医療記録ではあごを砕かれ、足を骨折、片方の眼球はつぶされていたらしいが裁判で認められなかった)、事件発生から1年経過した92年4月29日に陪審員は無罪評決を下した(白人住民の多かったシミ・バレーで法廷が開かれた事も原因しているといわれる)。陪審員に黒人は含まれていなかった。


ラターシャ・ハーリンズ射殺事件

ロドニー・キング事件のわずか13日後となる1991年3月16日、持参したバックパックに1ドル79セントのオレンジジュースを入れ、手に支払いのための小銭を握っていた[1]黒人少女(当時15歳)であるラターシャ・ハーリンズを、韓国系アメリカ人の女性店主、Soon Ja Du(当時49歳)が射殺したのである。事件の様子は防犯ビデオに収めらており、2人は揉み合いになったのちに少女が店主の顔面を4度殴打、店主は床面に激しく転倒させられた。店主は少女に椅子を投げつけた。

その後、件のオレンジジュースをカウンターに置いて店から歩いて出て行こうとする少女に対して、韓国人店主は背後から銃を向け、その頭部を撃ち抜いた。Duは逮捕され、事件の判決は同年11月15日に出された。陪審員は16年の懲役を要求していたにも関わらず、判決は5年間の保護観察処分、および400時間の社会奉仕と500ドルの罰金という第三級謀殺としては異例に軽いものであった。この判決は黒人社会の怒りを再び煽ることとなり、無実の黒人少女を射殺するというこの事件により、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。


暴動勃発

1992年4月29日、ロス市警の警官への無罪評決が下されたこの日、評決に怒った黒人たちが手の付けられない暴徒と化し、ロサンゼルス市街で暴動を起こして商店を襲い、放火や略奪をはじめた。

また、小規模な暴動及び抗議の動きはロサンゼルスだけではなくラスベガス、アトランタ、サンフランシスコをはじめとしたアメリカ各地、およびカナダの一部にまで波及したようである(「本部長は辞任せよ」「4人の警官は全員有罪だ」「暴力警官からバッジを取り上げろ」のプラカードを掲げてデモ行進したグループもあった)。

この暴動が勃発した初日、LA市内をトラック輸送仕事でいつも通り走行していた白人トラック運転手、レジナルド・デニーはフローレンス通りとノルマンディーアベニューの交差点で信号待ちをしていた際、主に若者を中心とした暴徒化した黒人らにキャビンから引きずり出されて暴行を受けた。その内容は、コンクリート塊でこめかみを強打したり、倒れた被害者の頭部に数十キロの鉄の塊(エンジンブロック)を投げ落とすなどだった。またこの様子は地元TV局の取材ヘリから空撮されており、この衝撃的なシーンは幾度となく繰り返し全米にTV放送され、彼はロス暴動におけるもっとも著名な被害者となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki