ロジャー・ムーア
Roger George Moore
生年月日1927年10月14日(80歳)
出生地 イギリス, ロンドン
ジャンル俳優
活動内容1962年:『セイント 天国野郎』
1973年:『007 死ぬのは奴らだ』
1977年:『007 私を愛したスパイ』
1979年:『007 ムーンレイカー』
主な作品
『007』シリーズ
『セイント 天国野郎』
『ダンディ2 華麗な冒険』
備考
3代目ジェームズ・ボンド
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サー・ロジャー・ジョージ・ムーア KBE(Sir Roger George Moore KBE, 1927年10月14日 - )は、イギリス出身の俳優。身長は公称196cmだが実際は185cmから175cm前後と言われている。
目次
1 人物
2 主な出演作品
2.1 007シリーズ
2.2 その他の作品
3 吹き替え声優
4 来日時の主なテレビ出演
5 外部リンク
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ロンドンのストックウェルで警官の息子として生まれたムーアは、バッキンガムシャー、アマーシャムのドクター・シャロナーズ・グラマースクールに入学した。1940年代に映画にエキストラ出演した後、入隊し第二次世界大戦中はイギリス軍の娯楽部隊に所属。
除隊後再び大部屋俳優に。モデルやテレビのステージ・マネージャーなどの職業も経験。50年代に入ってアメリカに渡り、テレビドラマに出演する下積み生活が続いた。54年メトロ・ゴールドウィン・メイヤー映画『雨の朝巴里に死す』に出演、同年MGMの契約俳優となる。
1962年、テレビシリーズ『セイント 天国野郎』に主演してスターの地位を得る。71年からの『ダンディ2 華麗な冒険』などのテレビシリーズでも活躍。
1973年に『007 死ぬのは奴らだ』で3代目ジェームズ・ボンド役に抜擢され、国際的スターの座にのぼる。持ち前の上品で軽妙洒脱なユーモアが愛され、1985年の『007 美しき獲物たち』までシリーズ7作品に主演(現在6人のボンド俳優の中で最多の出演本数)。だが、それはイオン・プロダクション製作の「007」シリーズだけの話であり、「ジェームズ・ボンドを演じた回数」でいえばショーン・コネリー(イオン・プロ製作6作品+番外編『ネバーセイ・ネバーアゲイン』)と同じである。
ボンド役については、原作者イアン・フレミングがムーアを推薦しており、ムーアが「セイント」で活躍していた頃、ショーン・コネリー降板後の2代目ボンド俳優の候補となったが、ムーアがテレビの仕事でスケジュール調整がつかなかったため、結局ボンド役はジョージ・レーゼンビーに。レーゼンビーの降板後、再びムーアにボンド役の誘いがあり、ムーア・ボンドの誕生となったという経緯がある(5代目ボンドとして活躍したピアース・ブロスナンのボンド役決定までにも似たような経緯がある)。
彼が演じた007はシリーズ中でもかなり豪華なアクションを取り入れたものとなっていたり、他にも数々のアクション映画に主演したムーアだが、意外にも自他共に認める運動音痴だという。唯一得意だった競技は水泳。このため、歴代ボンドでスタントマンによる吹替えを多用したとの説もある(なお、後にアクションを嫌い本人が希望したとも言われている。20周年を記念したドキュメンタリーでも本人が冗談めかしくその様なコメントをしている)。また、最後のボンド作品となった『007 美しき獲物たち』ではムーアはすでに50代後半。ほとんどのアクションシーンではスタントマンを使ったのだという。同作ではかなり顔の皺が目立っている。ムーアが『美しき獲物たち』を最後にボンド役を降りた理由は、冗談めかしに「これ以上やったら殺される」ということであった。
意外だが、初代ボンドショーン・コネリーに比べて3歳年上である(ショーン・コネリーの生年月日は1930年8月25日)。
日本では7代目トヨタ・コロナ(T140系、最後のFRコロナ)のCMキャラクターを務めたことでも知られている。ムーアはCMや広告に登場したばかりではなく7代目コロナのカタログにも登場している。また、複数回来日している。
俳優として活躍する一方、ユニセフ親善大使(オードリー・ヘップバーンに勧められたという)などボランティア活動にも精力的で、2003年にはナイトの称号を与えられている。
二男一女がおり、子供の中でジェフリーとデボラは俳優になった。
007シリーズ
007 死ぬのは奴らだ(1973年)
007 黄金銃を持つ男(1974年)
007 私を愛したスパイ(1977年)
007 ムーンレイカー(1979年)
007 ユア・アイズ・オンリー(1981年)
007 オクトパシー(1983年)