リー・クアンユー
Lee Kuan Yew
李光耀
シンガポール初代首相
任期:1959年6月3日 ? 1990年11月28日
出生:1923年9月16日
シンガポール
政党:人民行動党
配偶:柯玉芝
リー・クアンユー(Lee Kuan Yew, 李光耀, 1923年9月16日、旧暦8月6日 - )はシンガポールの初代首相、現顧問相。
目次
1 プロフィール
2 経歴
3 家族
4 エピソード
5 外部リンク
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初代首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながらシンガポールの経済的繁栄を実現した。
人種差別への反対とジェンダー・フリーを唱える傍ら、自らの保身と自国の経済的発展を何よりも優先し、国内における報道や発言の自由を規制したほか、早期選抜や、大卒女性の出産を推奨するなどの優生思想に基づく選別的な教育制度を実践した。 天安門事件における中国政府の武力制圧を「私でも同じことをしたであろう」と支持した。
独裁的な国内統治の方法に内外からの批判も多いが、シンガポールを東南アジアを代表する経済大国に導いた功績が大きく、シンガポールの経済成長の恩恵に大きくあずかった中高年層からの支持が厚い。
経歴
1923年 イギリス植民地下のシンガポールの英語を話す客家系華人の家に生まれ、幼くして英語教育を受ける。祖父からはKuan Yewとともに、Harryという英語名も授けられた。
1940年 ラッフルズ学院入学。
1942年 日本軍占領。
1945年 イギリス留学。
1949年 ケンブリッジ大学卒業、弁護士資格取得。結婚。
1950年 シンガポールに帰国、弁護士活動開始。
1952年 労働組合運動指導者となる。
1954年 人民行動党創設。
1959年 植民地下のシンガポール自治政府成立、首相に就任。
1963年 マレーシア連邦に合流して独立するが、華人問題でマレーシアと紛糾。
1965年 シンガポール、マレーシアから分離独立、首相就任(〜1990年)。
1990年 ゴー・チョクトン政権上級相(〜2004年)。
2004年 リー・シェンロン政権顧問相。
2005年 復旦大学より、名誉博士号を授与される。
家族
長男リー・シェンロンは現シンガポール首相。
次男リー・シェンヤンは現シンガポール・テレコム総裁。
この節に雑多な内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。このタグは2008年7月に貼付されました。
中華系であるが、中国語はほとんど話せなかった、(幼少期には、福建語の入り混じった、マレー語で会話していたと本人談)後に学習。この学習経験は、「My Mandarin experience」として、英語で出版されている。使用言語は英語・マレー語。(自伝によるとマンダリン、福建語は演説できるほど話せる)
本人は自分を、「実用主義者」、「マラヤ人」と呼ぶ。
1950年には、「イギリスを追い出し独立を達成できるのはマラヤ共産党だけである」と演説している。共産主義には疑問を感じていたが、マラヤ共産党の抗日・反英運動への貢献は認めている。
『私より優れた頭脳を持つのは妻だけだ』と冗談交じりに発言している。
シンガポール独立発表のテレビ中継の際、思わず泣き出してしまった。これはシンガポールの独立が、かつてマレー独立運動の盟友であったトゥンク・アブドゥル・ラーマンからの追放宣言に等しかった事による。他にも、独裁とそれに伴う言論統制に嫌気がさした若年層を中心とした人材の国外流出が深刻化し、他国に移住する国民に向けてテレビ中継で母国に止まる様に訴える際も泣いている。
多数の死傷者を出した天安門事件(六四天安門事件)の際には、中国共産党による鎮圧に対して、個人として「歓迎の意」を表明した。
1994年にイグノーベル賞心理学賞を授与した。