リーガル千太・万吉
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リーガル千太・万吉(りーがるせんたまんきち)は、昭和期に活躍した漫才コンビ。東京(江戸)漫才の祖と評される。
目次

1 概要

2 メンバー

3 受賞

4 映画

5 DVD

6 弟子

7 出典

8 関連項目

9 註

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概要

2人共に柳家金語楼一座に属する落語家であった(千太のみ金語楼の弟子)。

結成のきっかけには二説ある。

金語楼は吉本興業の芸人であり、上方・吉本のしゃべくり漫才横山エンタツ花菱アチャコの成功を間近で見た。それに触発され、試しにこの2人に高座で掛け合いを演じさせて漫才コンビに仕立てたという説。そして、2人の雑談を面白がった日本コロムビアのディレクターが漫才転向を薦めたという説がある。[1]

1934年に正式に漫才コンビ結成、日本コロムビアの廉価レーベルであるリーガルレコードの専属になり、リーガルの屋号を名乗る。戦時中は敵性語の使用禁止で柳家千太・万吉に暫時改名した。

レコードは売れに売れ、別名義で他社から発売した分も含め[2]吹き込んだSP盤は200枚に達し、東京漫才界の最高を記録。戦後はラジオにも活躍の場を広げ、『やきとり』『ぺり住まい』等の演目を十八番とした。サラリーマン同士の会話のような淡々とした掛け合いを基調とする芸風で、共に落語家出身らしい間と口調は今なお高い評価を得ている。


メンバー

リーガル 千太(リーガル せんた、1901年7月2日 - 1980年5月10日東京都出身、本名:富田 寿(とみた ひさし)

1926年9月に柳家金語楼に入門、前座名柳家金洲。日本芸術協会設立で師匠と行動を共にし、柳家緑朗(緑郎とも)に改名。

万吉の単独引退に伴い、ピンで漫談をしたり、大江笙子と組んで漫才を再開したりした後、1969年頃に芸能界を引退し、落語協会事務員に転向した。

リーガル 万吉(リーガル まんきち、1894年12月12日 - 1967年7月30日)東京都出身、本名:寄木 昇(よりき のぼる)

2代目談洲楼燕枝の門で談洲楼雀枝、1918年5月に2代目柳家小団治1925年5月にやまとを経て、同年10月に柳家梧楼を名乗った。落語家の前座時代は端唄や問答などを得意とした。

漫才研究会(社団法人漫才協会の前身)会長を務めたが、病気のため1962年10月6日日比谷公会堂で引退興行し、ひっそりと余生を送った。


受賞

昭和35年 芸術祭奨励賞受賞『やきとり』


映画

カミナリお転婆娘(1961年日活

音楽二十の扉(1948年大映


DVD

昭和達人芸大全?笑芸・喜芸・すっとこ芸? DVD-BOX(2003年ポニーキャニオン、ISBN 4988013472501)


弟子

リーガル天才・秀才

春日三球


出典

諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN 458212612X

お笑いの復権


関連項目

漫才師一覧

日本お笑い史


^ 『昭和 高座の名人たち』小島貞二執筆の項
^ 内職かどうかは不明

この「リーガル千太・万吉」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 人物伝)。
カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | お笑い芸人

更新日時:2008年7月28日(月)12:58
取得日時:2008/09/02 15:19


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki