リトル東京
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小田和正のシングルについてはLittle Tokyoをご覧ください。

リトル・トーキョー(英語:Little Tokyo)は、ロサンゼルスダウンタウン内にあるアメリカ最大の日本人街の通称である。「Lil' Tokyo」、「小東京」などとも呼ばれている。

リトルトーキョーの東端、全米日系人博物館そばの外壁には「ロサンゼルスの小東京は、我々の心の故郷です」と書かれた壁画が描かれている。
目次

1 年表

2 歴史

3 概要

3.1 記念碑・像・ランドマーク

3.2 公的施設

3.3 文化施設

3.4 ホテル

3.5 格安ホテル

3.6 買い物

3.7 レストラン・飲食

3.8 銀行

3.9 その他店舗・施設

3.10 新築住居・アパート・コンド・ロフト

3.11 イベント

3.12 日系新聞・情報誌


4 交通

5 関連項目

6 外部リンク

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年表

1884年 日本から北米大陸への移住が始まる。

1885年 日本人漁民チャールズ・カメこと茂田浜之助がロサンゼルスダウンタウン地区1番街340番地に日本食店カメ・レストランを開店以降、25世帯の日系人が居住、日系児童の為の学校も出来、これがリトルトーキョー発祥の基礎となった。(1945年からギフトショップ文化堂がこの住所で営業)

1888年 日系移民のほとんどがキリスト教に改宗したためYMCAが設立。

1899年 クラブ・バーLittle Pedro'sがオープン。(現在も営業中。小東京最古の飲食店)

1903年 南カリフォルニア大学の学生だった山口正治、渋谷清次郎、飯島敬一郎ら3人が日系最初の新聞メディア羅府新報をこの地で創刊。和菓子風月堂が開店。

1905年 「リトルトーキョー」、「小東京」と云う名称が一般的になる。

1906年 サンフランシスコで大地震、北カリフォルニアに住んでいた日系人数千人がリトルトーキョーに移住。初の日系人経営の映画館The Internationalがオープン。

1907年 小東京の人口が3万人を超える。

1908年 小東京の日系人の店舗が40カ所以上に。ほとんどの日系人が農家を経営していたため翌年、青果市場を設立。

1910年 橋本錬三郎が三河屋をオープン。今なお営業中。

1913年 シカゴ大学を卒業したばかりの早川雪洲がこの地で演劇活動を始める。

1916年 賭博場ヤマトクラブ開店。

1920年 小東京に柔道道場が完成。

1922年 羅府日米新聞創刊。

1923年 日系人の為の教会ユニオン・チャーチが完成。(現在は芸術系非営利団体が利用している)

1924年 日露戦争で日本が勝利した頃から起こりつつあった日本人排斥の流れの中、米政府が排日移民法を制定。日本からの移民を禁止。

1925年 中華料理店Chop Suey(チョプスイ)が開店。チャップリン等の映画スターが数多く常連に。

1931年 加州毎日新聞が11月5日に創刊。翌年、画家の竹久夢二がエッセイ「南加感傷」を短期連載。(毎日新聞とは無関係。90年代に廃刊)

1934年 日系アメリカ人の若者達が二世ウィーク祭り(Nisei Week、世界最大の日系人の祭り)を提唱、開催。翌年、エンブンマーケットがオープン。

1937年 産業日報新聞創刊。

1941年 中央日本人会では会長仲村権五郎と羅府新報英文編集長田中薫悟の両名を首都ワシントンに送り、多くの要人や政治家達に面接を求めて日系人の窮状を訴えた。同年12月に日米間で開戦。

1942年 大統領命令9066号を発令。西海岸の全日系アメリカ人が収容所に強制入所させられる。リトル東京から日系人の姿は消え、ゴーストタウン、スラム化したとされる。この頃から黒人の居住者が増加。「コブラ・クラブ」等、黒人ジャズクラブが20店舗以上開店し、当時無名のチャーリー・パーカー等が演奏。

1943年 6月中旬、ズートスーツ暴動と呼ばれる兵隊同士の人種間闘争がダウンタウン地区で勃発。近隣のリトルトーキョーにまで飛び火。10月、黒人ビジネスマンらがリトルトーキョーの名称を「ブロンズヴィル(Bronzeville)」に改称。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki